閑居友
上第9話 あづまの方に不軽拝みける老僧の事
あつまのかたに不軽おかみける老僧の事
あづまの方に不軽拝みける老僧の事
校訂本文
中ごろ、あづまの方に、年いと長(た)けたる聖の、言ひ知らず汚なげなるが、髪長く着物穢れたるありけり。見と見る人を拝みて、「我深敬。汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏」の文をなん唱へける。拝むとても、なほざりの気(け)なし。まことを致してぞ見えける。いかにもただにはあらず、深く思ひ入れたる人なるべしと見えけり。
さて、人などの会はぬ所にては、暇(いとま)を惜しみて、いと速くぞ走(はし)りける。足などには、膝まで土ども染み付きて、額(ひたい)・手も土かたにてぞ侍りける。いかなる所をも嫌はず拝みければ、さこそは侍りけめ。「思ひけん心の底深かるべし」と思えて、聞くもかしこく侍り。
この国には、何とならはして侍りけることやらん。七月十四日にぞ、高き賤しきもなく、この勤めおばし侍る。ただの時はいと難く見え侍るにや。これは、釈迦如来、昔、不軽菩薩と言はれ給ひし時、し初(そ)め給ひける行ひなりければ、いつとなくも、し侍るべきことにこそ侍るめれ。されば、証如聖などは、この勤めをして、家ごとに歩(あり)き給ひしぞかし。「ある時は、門にて常ならぬ匂ひを嗅ぐ」など見ゆれば、頼もしくぞ聞こゆる。
すべて、この不軽1)といふことの心は、衆生の胸の底に仏性のおはしますを、敬ひ拝み奉るなり。我らがやうなる惑ひの凡夫こそ、この理(ことはり)2)を知らねども、悟りの前には、いかなる蟻・螻蛄(けら)までも、思ひくだすべきものなく、仏性をそなへて侍るなり。地獄・餓鬼までも、みな仏性なきものは一人も無ければ、この理を知りぬれば、あやしの鳥・獣(けだもの)3)までも、尊(たうと)からぬことなし。されば、仏、涅槃(ねはん)に入り給はんとせし時、大きなる光を放ち給ひて、十方を照らし給ひしに、地獄の底までその光至りて、光の中に声ありて、「諸々(もろもろ)の衆生に、みな仏性あり」と唱へしかば、その苦しみ、みな除こりて、天上に生まるとぞ侍るめる。細かには『涅槃経』に見えたり。
かの玄常上人の、鳥・獣を見て、腰をかがめ給ひけん、この心にこそ侍りけめ。いはんや、わきまへある人の姿に浮び出づるたぐひは、いま少しこの仏性の顕(あらは)れやすかるべき身なれば、ことに尊くも侍るべし。あやしのわざまでも、心に入れつるは、必ずその思ひを遂ぐることなれば、「この身に仏性有り」と知りて、疾く顕さむ」と思はんに、いかでか空(むな)しく侍らん。いはんや、これは仏といふ方人(かたうど)の力を加へ給へば、頼りあるへきことなり。
また、かやうによろづの人に仏性のおはしますことを知りなば、人を憎み嘲(あざけ)ることなども、おのづからとどまる中立(だち)ともなるべし。「夜な夜なは、仏を抱きて眠(ねぶ)り、朝な朝なは、仏とともに起く」と傅大士4)の説き給へるは、頼もしくぞ聞こゆる。
心ざしのあらむ人、細かに尋ね習ふべし。「このことを常に心に捨てざらむ人は、女人なりとも男子と名付く。悪人なりといふとも善人といふべし」など、経には侍るめるは、正法の命、既に喉に至れり。いかでか怠りて、いたづらに陰を過ぐさむや。
翻刻
中ころあつまのかたにとしいとたけたるひしりの いひしらすきたなけなるかかみなかくき物けか れたるありけりみとみる人おおかみて我深敬。汝 等。不敢(カン)軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作/上25オb57
仏。の文をなんとなへけるおかむとてもなをさりの けなしまことをいたしてそみえけるいかにもたた にはあらすふかく思ひいれたる人なるへしとみえけり さて人なとのあはぬ所にてはいとまををしみて いとはやくそはしりけるあしなとにはひさまて つちともしみつきてひたいてもつちかたにてそ 侍けるいかなる所をもきらはすおかみけれはさこそは 侍けめおもひけん心のそこふかかるへしとおほえて/上25ウb58
きくもかしこく侍この国にはなにとならはして 侍ける事や覧七月十四日にそたかきいやしき もなくこのつとめおはし侍たたのときはいとかたく みえ侍にやこれは釈迦如来昔不軽菩薩といはれ給し ときしそめ給けるおこなひなりけれはいつとな くもし侍へき事にこそ侍めれされは証如聖なとは このつとめをしていゑことにありきたまひしそかし あるときは門にてつねならぬにほひおかくなとみゆ/上26オb59
れはたのもしくそきこゆるすへてこのふ経といふ 事の心は衆生のむねのそこに仏性のおはしますを うやまひおかみたてまつる也我等かやうなるまとひ の凡夫こそこの事はりをしらねともさとりの まへにはいかなるありけらまても思ひくたすへき ものなく仏性をそなゑて侍也地獄餓鬼まてもみな仏性なきものはひとりもなけれはこのこ とはりをしりぬれはあやしのとりけた物 まてもたうとからぬ事なしされは仏ねはんに/上26ウb60
いりたまはんとせし時おほきなる光おはなち給 て十方をてらし給しに地獄のそこまてその光いた りて光の中にこゑありてもろもろの衆生にみな仏性 ありととなへしかはそのくるしみみなのそこりて 天上にむまるとそ侍めるこまかにはねはん経にみゑ たりかの玄常上人のとりけたものをみてこしを かかめたまひけんこの心にこそ侍けめいはんや わきまゑある人のすかたにうかひいつるたくひは/上26オb61
いますこしこの仏性のあらはれやすかるへき身な れはことにたうとくも侍へしあやしのわさまても 心にいれつるはかならすそのおもひをとくる事なれは この身に仏性有としりてとくあらはさむとおもはん にいかてかむなしく侍らんいはんやこれはほとけとい ふかたうとのちからをくはへたまへはたよりあるへ き事也またかやうによろつの人に仏性のをはし ます事をしりなは人おにくみあさける事なとも/上27ウb62
をのつからととまる中たちともなるへしよなよなは仏 をいたきてねふりあさならは仏とともにおくと傅(ふ)大 土のときたまへるはたのもしくそきこゆる心さしの あらむ人こまかにたつねならふへしこの事をつねに 心にすてさらむ人は女人なりとも男子となつく悪 人なりといふとも善人といふへしなと経には侍めるは正法 のいのちすてにのとにいたれりいかてかおこたりていたつら にかけをすくさむや/上28オb63