目次
閑居友
上第5話 清海上人の発心の事
清海上人の発心の事
清海上人の発心の事
校訂本文
昔、奈良の京、超証寺に清海といふ人おはしけり。もとは興福寺の僧にて学問をぞむねとたしなみける。
かかるに、この国のならひ、今も昔もうたてさは、東大寺・興福寺二寺(ふたてら)の僧ども、中悪しきことありて、東大寺へ軍(いくさ)をととのへて寄せけり。この清海の君も、弓・胡録(やなぐひ)身に添へて行きけり。
さるほどに、道にて時をつくりて軍喚(いくさおめ)きしけるに、身の毛立ちて、「こは何としつる身の有様ぞ。恩愛の家を出でて、仏の道に入る身は、人の苦しみを助け、仏の御法(みのり)の廃れんを悲しみ嘆くべきに、今、形(かたち)は僧の形にて、たちまちに堂・塔・僧房を焼き、仏像・経巻を損ひ、僧を殺さむとて行くこと、こは何のわざらなん」と悲しくあぢきなし。「今、見付けられて、いかになるとても、いかがせん。しかじ、早くここより行き別れなん」と思ひて、やをら這ひ隠れにけり。
さて、真如親王の跡、超証寺といふ所に籠り居て、ひそかに法花の四種三昧をぞ行ひける。観念、功積りて、香の煙の化仏の現はれ給ひけるを、「末の代の人に縁結ばせん」とて、一つ取りとどめ給ひたりけり。三寸ばかりの仏にてぞおはしましける。すべてこの人、観念成就して、居給ひたりけるめぐり一里を浄土になし給ひけるなり。
そもそも、四種三昧と言へるは、一には常坐三昧。いはく、九十日を限りて、結跏正坐して、思ひを法界にかけて、一切の法は仏法也と信じて、寂滅法界に安住すれば、ここに居ながら諸仏を見奉り、仏の説法を聞くなり。
二には常行三昧。いはく、九十日を限りて、身に常に行道し、口に常に阿弥陀仏の名を唱へ、心に常に阿弥陀仏を念じて、休みやむことなし。神を運ばずして諸仏を見奉り、仏の説法を聞くなり。
三には半行半坐三昧。いはく、日夜六時に六根の罪を懺悔して、百千万億阿僧祇劫の罪を滅して、五欲を離れずして六根を浄め、釈迦・多宝・文殊・薬王等の諸々(もろもろ)の大菩薩を見奉る。
四には非行坐三昧。いはく、随自意これなり。諸経に説くところの行ひの、上(かみ)の三に当らざるは、みな随自意三昧なるべし。
大千塵数の仏の国に宝を満てて、貧しき人に布施せんよりは、この三昧を聞きて驚かざらんにはしかじ。「もし随喜せん者は、三世の諸仏菩薩、随喜し給ふ」と侍るめれば、頼もしく尊くぞ侍る。(恵心1)の『要法文』の心をのす2))
四種三昧の中の常行三昧には、「晴れたる星を見るがごとく、化仏を見奉る」など、止観には説きて侍るめれば、「さやうに侍りけるにこそ」と、尊く思ひやられ侍り。
陳の太建十七年、天台大師、終りをとり給ひしに、智朗禅師の、「死に給ひなむ後は、誰をか尊み仰(あふ)ぐべき」と問ひ奉りしには、「四種三昧、これ汝が明道すなり」とぞ、答へ給ひける。この日本(やまと)の国の、播磨の書写の聖3)も、人の来て功徳を問ふときは、四種三昧を答へ給ひけり。まことにいみじき功徳にてこそ。
この清海の君のこと、『拾遺往生伝4)』に載せられて侍るめれど、このことは見えざめれば、記し載せ侍りぬる。
翻刻
むかしならの京超証寺に清海といふ人おはしけり もとは興福寺の僧にてかくもんおそむねとたし なみけるかかるにこの国のならひいまもむかしも/上15ウb38
うたてさは東大寺興福寺ふたてらの僧とも中 あしき事ありて東大寺へいくさをととのへてよせ けりこの清海のきみもゆみやなくひ身にそえて ゆきけりさるほとに道にて時をつくりていくさお めきしけるに身のけたちてこはなにとし つる身のありさまそ恩愛のいゑおいてて仏のみち にいる身は人のくるしみおたすけほとけのみのり のすたれんおかなしみなけくへきにいまかたちは/上16オb39
僧のかたちにてたちまちに堂塔僧房をやき仏 像経巻おそこなひ僧お殺さむとてゆく事こは なにのわさならんとかなしくあちきなしいまみ つけられていかになるとてもいかかせんしかしはやく ここよりゆきわかれなんと思てやおらはひかくれに けりさて真如親王のあと超証寺といふ所にこも りゐてひそかに法花の四種三昧をそおこなひけ る観念こうつもりて香の煙の化仏のあらはれ給/上16ウb40
けるをすゑの代の人にえんむすはせんとてひとつ とりととめたまひたりけり三寸はかりの仏にて そおはしましけるすへてこの人観念成就して ゐたまひたりけるめくり一里お浄土になし給け るなりそもそも四種三昧といへるは一には常坐三昧い はく九十日をかきりて結跏正坐して思を法界に かけて一切の法は仏法也と信して寂滅法界に安 住すれはここにゐなから諸仏をみたてまつり仏の/上17オb41
説法をきく也二には常行三昧いはく九十日おかきり て身につねに行道しくちにつねにあみた仏の名を となへ心につねにあみた仏を念してやすみやむこ となし神をはこはすして諸仏をみたてまつり 仏の説法をきく也三には半行半坐三昧いはく日 夜六時に六根のつみを懺悔して百千万億阿僧祇 劫のつみを滅して五欲をはなれすして六根をき よめ釈迦多宝文殊薬王等のもろもろの大菩薩をみ/上17ウb42
たてまつる四には非行坐三昧いはく随自意これ也 諸経にとくところのおこなひのかみの三にあたら さるはみな随自意三昧なるへし大千塵数の仏 の国にたからをみててまつしき人に布施せんより はこの三昧をききておとろかさらんにはしかし もしすいきせんものは三世の諸仏菩薩すいきし 給と侍めれはたのもしくたうとくそ侍(恵心ノ要法文ノ心をのす)四種 三昧の中の常行三昧にははれたる星をみるかこ/上18オb43
とく化仏をみたてまつるなと止観にはときて侍め れはさやうに侍けるにこそとたうとく思ひやられ侍 陳の太建十七年天台大師をはりおとりたまひし に智朗禅師のしにたまひなむのちはたれおか たうとみあふくへきととひたてまつりしには四種 三昧これ汝か明道す也とそこたへたまひけるこの やまとの国のはりまの書写のひしりも人のき て功徳をとふときは四種三昧をこたへ給けりまことに/上18ウb44
いみしき功徳にてこそこの清海の君の事拾遺(シフユイ) 往生伝にのせられて侍めれとこの事は見えさめれは しるしのせ侍ぬる/上19オb45