目次
閑居友
上第2話 如幻僧都の発心の事
如幻僧都の発心のこと
如幻僧都の発心の事
校訂本文
昔、如幻僧都といふ人おはしけり。もとは奈良の京、東大寺に住みて、華厳宗をぞ習ひ給ひける。
そのころ、善珠大徳、学問の功高くて、眠(ねぶ)りを除き、飢ゑを忍びて見えければ、時の人もいみじきことに言ひ合へりけり。僧都、これを見て、「我、いかに学問すとも、この人に勝るべからず。しかじ、この道をあらためて、一筋(ひとすぢ)に行ひの道におもむきて、この人よりは先立ちて、世の聞こえをも取り、位をも上らむ」と思ひて、熊野に籠りて、身を砕き骨を折りて、一筋に行ひ給ひけり。
かかるほどに、傍らに、我が行ひを五・六重ねたらんほどに行ふ者ありけり。これを見て、「あさまし」と思ひて、「さても、かくして世の中にありては、ついにはいかなるべきぞ」と思ひ続くるに、いとあぢきなく、よしなくて、やがて走り出で給ひにけり。
さて、播磨の国、高和谷(たかをだに)といふ所におはして、他事なく後世の行ひして、常には心を澄まして、華厳経をぞ読み給ひける。
かかるほどに、「弟子にならむ」とて、人あまた出で来集まりて、後には本意(ほい)なきほどに侍りければ、離れたる所にあやしの庵(いほり)構へて、ただ一人居て、食ひ物などもみづから営みて、弟子をば時々ぞ来させける。
ある時、「いま七日ばかりは厳しき行ひをすること侍るべし。ゆめゆめ来たることなかれ」とありければ、そのほど、人行き交ふこともなかりけり。日ごろ過ぎて、庵のほどにいひ知らぬ匂ひの侍りければ、あやしくて見ければ、手を合はせて西に向ひて、命尽き給ひにけるなるべし。その年は六十二、頃は十二月二日にてぞ侍りける。観音(くわんおん)を本尊にし給ひけるとかや。
この人の事、往生伝に侍るめれど、このことは侍らざめれば、記し侍るなるべし。かの伝には、「唯識因明の道を明らかに習へる」と侍るにや。また、僧都になれるよしも見えず。もし僧都と言へるは僻事(ひがごと)にや侍らむ。かの播磨の高和谷に絵に描ける御姿のおはするは、木の下に石を敷物のにて、檜笠と経袋とばかり置き給ひたる姿とぞ聞き侍りし。発心の始めより命終まで、澄みて思え侍り。
翻刻
昔如幻僧都といふ人をはしけりもとはならの京東 大寺にすみて華厳宗おそならひたまひけるその ころ善珠大徳学問のこうたかくてねふりおのそき うゑおしのひて見えけれは時の人もいみしきこと にいひあへりけり僧都これをみて我いかにかくもん すともこの人にまさるへからすしかしこの道おあら/5ウb18
ためてひとすちにおこなひの道におもむきてこ の人よりはさきたちて世のきこゑおもとり位お もあからむとおもひてくまのにこもりて身をく たきほねををりてひとすちにおこなひたまひ けりかかるほとにかたはらにわかおこないを五六かさね たらんほとにおこなふものありけりこれおみてあさ ましとおもひてさてもかくして世中にありては ついにはいかなるへきそと思ひつつくるにいとあちきなく/6オb19
よしなくてやかてはしりいてたまひにけりさて はりまの国たかをたにといふ所におはして他事な く後世のおこないしてつねには心をすまして華厳 経をそよみたまひけるかかるほとに弟子になら むとて人あまたいてきあつまりて後にはほいなき ほとに侍けれははなれたる所にあやしのいほりか まゑてたたひとりゐてくひものなとも身つからいと なみて弟子おはときときそこさせけるあるときいま/6ウb20
七日はかりはきひしきおこなひをする事侍へし ゆめゆめきたる事なかれとありけれはそのほと人ゆき かふ事もなかりけり日ころすきていほりのほとにい ひしらぬにほひの侍けれはあやしくてみけれはてお あはせて西にむかひていのちつきたまひにけるなる へしそのとしは六十二ころは十二月二日にてそ侍ける くわんおんを本尊にしたまひけるとかやこの人 の事往生伝に侍めれとこのことは侍らさめれはしる/7オb21
し侍なるへしかの伝には唯識因明の道おあきら かにならへると侍にやまた僧都になれるよしも みえすもし僧都といへるはひか事にや侍らむかの はりまのたかをたににゑにかける御すかたのをは するはきのしたにいしをしきものにてひかさと 経ふくろとはかりをきたまひたるすかたとそき き侍し発心のはしめより命終まてすみておほ へ侍り/7ウb22