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text:k_konjaku:k_konjaku7-30

今昔物語集

巻7第30話 震旦右監門校尉李山龍誦法花経得活語 第三十

今昔、震旦の□1)の代に、右監門の校尉として、李の山龍と云ふ人有けり。本、馮州の人也。

武徳の間に暴(にはか)に死ぬ。家の人、泣き悲む事限無し。但し、山龍が胸、掌許り燸(あたた)か也。家の人、此れを怪むで、暫く喪せず。

七日有て、遂に活(いきかへり)て、親き族に語て云く、

「我れ、死せし時に、冥官に捕らはれて、一の官曹に至る。庁事、甚だ大なる形也。其の庭、甚だ広くして、庭の中に誡め置たる人、極て多し。或は杻械、或は枷鏁を蒙れる者、皆面を北に向て、庭の中に充ち満てり。

其の時に、使、山龍を庁に将至るに、山龍、見れば、首たる大官一人在ます、高き床に坐せり。其の眷属、数多にして、有様、国王を百官の敬ふが如し。山龍、使に問て云く、『此れは何なる官ぞ』と。使の云く、『此れは王也』と。

山龍、進むで階の本に至る。王の宣はく、『汝ぢ、一生の間、何なる善根をか造たる』と。山龍、答て云く、『我が郷の人、講筵を修せし時、度毎に常に供養物を施し事、其の人と同かりき』と。王の宣はく、『汝が身に何なる善根をか造れる』と。山龍、答て云く、『我れ、法花経二巻を誦せり』と。王の宣はく、『甚だ貴し。速に階に登るべし』と。

然れば、山龍、庁の上に登ぬ。庁の東北に高き座有り。王、彼の座を指て、山龍を進めて宣はく、『汝ぢ、彼の座に登て、経を読誦すべし』と。山龍、王の命を奉(うけたま)はりて、彼の座の側(ほとり)に至る。王、即ち起て宣はく、『読誦の法師、座に登れ』と。山龍、既に座に登て、王に向て座せり。山龍、誦して云く、『妙法蓮花経序品第一』と読めば、王の宣はく、『読誦の法師、速に止め』と。山龍、王の言に随て、即ち止て、座を下ぬ。亦、階の本にて庭を見るに、誡め置たりつる多の罪人、忽に失せて見えず。

其の時に、王、山龍に告て宣はく、『君が経を誦する功徳、只自からの利益のみに非ず。庭の中の多の苦の衆生、皆経を聞くに依て、囚(とらはれ)を免かるる事を得つ。豈に此れ限り無き善根に非ずや。今、我れ、君を放つ。速に人間に還り去ね』と。山龍、王の言を聞て、王を礼拝して、庁を出でて還るに、数十歩を行く程に、王、亦山龍を喚びて、此の付つる使に仰せて宣はく、『此の人を将行て、諸の地獄を廻り見しむべし』と。

使、即ち山龍を将行く。百余歩を行て見れば、一の鉄の城有り。甚だ広く大き也。其の上へに屋有て、其の城を覆へり。旁に多の小き窓有り。或は、大なる事、小き盆(ほとぎ)の如し。或は、鉢の如し。見れば、諸の男女、飛て窓の中に入て、亦出る事無し。山龍、怪で使に問ふ。『此れは、何なる所』と。使の云く、『此れ、大地獄也。獄の中に多の隔有り。罪を罸(つみ)せる事、各異也。諸の人は、本の業に随て、地獄に趣て、其の罪を受くる也』と。山龍、此れを聞て、悲び懼れて、『南無仏』と称す。

使に語て、『出なむ』と云ふに、亦一の城門に至て、見れば、一の鑊(かなへ)に湯沸く。傍に二の人有て、睡り居たり。山龍、此の眠れる人に問ふ。二の人の云く、『我等、此の鑊の沸ける中に入れり。堪へ難き事限無し。而るに、君の『南無仏』と称し給へるを聞くに依て、地獄の中の罪人、皆一日息む事を得て、疲れ睡れる也』と。山龍、『南無仏』と称す。

使、山龍に告て云く、『官府、其の数多し。王、今、君を放ち給ふ。君、去らむには、王に免す書を申すべし。若し、其の書を取らずば、恐らくは、他の官の者、此の由を知らずして、亦君を捕へむと為(す)』と。山龍、還て、王に其の書を申す。王、紙に一行の書を書て、使に付て宣はく、『五道等の署を取るべし』と。

使、此の仰せを承はりて、山龍を将行て、二の官曹を歴ふ。各、庁事有り。眷属、前の如し。皆、其の官の署を取るに、各一行を書て、山龍に付く。

山龍、此れを持て、出て、門に至るに、三人有て、山龍に云く、『王、君を放て去らしむ。我等、留むべからず。但し、多くも有れ、少も有れ、乞はむ物、我等に送れ』と、未だ言畢らざるに、使、山龍に告て云く、『王、君を放ち給ふ。此の三人を知らずや。三人は、此れ前に君を捕へし使者也。一をば、此れ棒主と云ふ。棒を以て、君が頭を撃つ。一をば、此れ縄主と云ふ。赤き縄を以て、君を縛る。一をば、此れ帒主と云ふ。袋を以て、君が気を吸ふ者也。君、還る事を得るが故に、物を乞ふ也』と。

山龍、惶懼(おそれ)て、三人に謝して云く、『我れ、愚にして、君を知らず。家に還て、物を備へむ。但し、何れの所にか、此の物を送るべき。其の故を知らず』と。三人の云く、『水の辺り、若は、樹の下にして、此れを焼(やけ)』と云て、山龍を免して還らしむ」。

山龍、「家に還ぬ」と思ふに、活て見れば、家の人、泣き合て、我れを葬せむずる具を営む。山龍、屍の傍に至ぬれば、即ち活ぬ。

後の日、紙を剪て、銭帛を作り、并に酒肉を以て、自から水の辺にして、此れを焼く。忽に、見れば、三人来て云く、「君、信を失はずして、重て遺愧の賀2)を相ひ贈くる」と云ひ畢て後、三人見えず。

其の後、山龍、智恵・徳行の僧に向て此の事を語るを聞て、僧の語り伝へたる也3)とや。

1)
底本頭注「震旦ノノ下唐トアルベシ」
2)
底本頭注「愧一本餽ニ作ル賀ハ荷ノ誤カ」
3)
底本頭注「也一本ナシ」
text/k_konjaku/k_konjaku7-30.txt · 最終更新: 2017/01/05 19:21 by Satoshi Nakagawa