今昔物語集
巻6第41話 張居道書写四巻経得活語 第四十一
今昔、震旦に温州の治中として、張の居道と云ふ人有けり。女子の事に依て、猪・羊・鵝・鴨等を殺す。
其の後、未だ一旬を経ざる程に、居道、病を受て死ぬ。三夜を経て活(いきかへり)て、語て云く、
「我れ、初め死し時、見れば、四人の人来れり。懐の中より一張の文書を抜き出て、居道に示して云く、『此れは、汝が殺せる所の、猪・羊・鵝・鴨等の、同語訴へて云く、『我等は前身に罪造て、今、畜生の身を受たりと云へども、命限り有り。而るに、居道が為に、非分に命を奪はれたり』と。此れに依て、汝を召す也」と云て、打ち縛て、将去る。
一つ道を北に向て行く間、路の中にして、此の副へる使、我れに云く、『汝ぢ、未だ死の期に至らず。何なる方便を以てか、活る事を得べき』と。居道が云く、『実に、自ら殺生せる事を思へば、極て免れ難し』。使の云く、『汝ぢ、殺せる所多しと云へども、『其の殺せる生類の為に、心を発して、四巻の金光明経を書写し奉らむ』と願せば、免るる事を得てむ』と。居道、此の教へを聞て、再び其の事を唱ふ。
而る間、遂に、城の内に至ぬ。見れば、庁の前に無数億の罪人有り。皆、悲み痛む。其の音を聞くに、居道、恐ぢ怖るる事限無し。
其の時に、使1)、居道を将参れる由を王に申す。王、此の猪・羊・鵝・鴨等の訴への状を以て、居道に示し給ふ。居道が云く、『我れ、殺せし所、実也。更に陳ぶる所無し。但し、我れ、願くは、『殺せる所の猪・羊・鵝・鴨等の為に、四巻の金光明経を書写供養せむ』と思ふ」と。
其の時に、此の殺れたる所の生類、皆、此の功徳に依て、各業に随て、形を化しつ。王、亦、此れを聞き給て、歓喜して、居道を生く路に還し給ふ。此れに依て、我れ活る也」
と語る。
其の後、心を発して、忽に四巻の金光明経を書写し、供養し奉りつ。此れを聞く人、一百余人、殺生を断ち、肉食を止めたりとなむ、語り伝へたるとや。