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text:k_konjaku:k_konjaku6-12

今昔物語集

巻6第12話 震旦疑観寺法慶依造釈迦像得活語 第十二

今昔、震旦の疑観寺1)と云ふ寺有り。其の寺に、法慶と云ふ僧住けり。開皇三年と云ふに、法慶、夾紵の釈迦の立像を造る。高さ一丈六尺也。未だ造り畢はらざる程に、法慶、忽に死ぬ。

其の日、亦、法昌寺2)と云ふ寺に住む、大智と云ふ僧死ぬ。大智、三日を経て活(いきかへり)て、寺の僧に向て語て云く、「我れ、死て閻魔王の御許に至て、疑観寺の法慶を見き。法慶、甚だ愁歎の気色有り。其の時に、亦見れば、止事無き僧一人、王の御前に来り給へり。王に向て宣はく、『此の法慶、我が像を造るに、未だ造らず畢りぬ。何ぞ、此れを死なしむる』と。王、自ら一人の人に問ひ給く、『法慶死せり。未だ命有りや』と。其の人、答て云く、『法慶、未だ命畢はらざるに、食絶にたり』と。王の宣はく、『速に蓮の葉を法慶に給ふべし。此れ、命終の福業也』と。其の時に、俄に法慶、見えず成にき」と、大智、活て寺の僧共に語るを、寺の僧聞て、実否を知らむが為に疑観寺に行て見るに、法慶活たり。大智が語る言、違ふ事無し。

法慶、活て後、常に蓮の葉を以て食として、此れを美(うま)き味として、後に余の物を食けり。

其の後、此の釈迦の像を造畢て、数年を経て、法慶死ぬ。其の釈迦の像、相好円満し給て、光を放ち給けり。于今、彼の疑観寺に在すとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「疑ハ凝ノ誤カ下同ジ」
2)
底本頭注「法昌ハ宝昌ノ誤カ」
text/k_konjaku/k_konjaku6-12.txt · 最終更新: 2016/10/16 11:19 by Satoshi Nakagawa