今昔物語集
巻6第1話 震旦秦始皇時天竺僧渡語 第一
今昔、震旦の秦の始皇1)の時に、天竺より僧渡れり。名を「釈の利房」と云ふ。十八人の賢者を具せり。亦、法文・聖教を持て来れり。
国王、此れを見て、問給はく、「汝は、此れ何(いか)なる者ぞ。何れの国より来れるぞ。見るに、其の姿、極て怪し。頭の髪無くして禿(かぶろ)也。衣服の体、人に違へり」と。利房、答て云く、「西国に大王在ましき。浄飯王と申しき。一人の太子在ましき。悉達太子と申しき。其の太子、世を厭て、家を出でて、山に入て、六年苦行を修して、無上道を得給へりき。其れを釈迦牟尼仏と申す。四十余年の間、一切衆生に種々の法を説給へりき。衆生、機に随て、教化を蒙て、遂に八十にして入涅槃し給にきと云へども、滅後、四部の弟子□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□一つ也。而るに、彼の仏の説置き給へる教法を伝へむが為に来れる也」。
国王の宣はく、「汝ぢ、『仏の弟子』と名のると云へども、我れ仏と云ふらむ者を未だ知らず。比丘と云ふらむ者を知らず。者の体を見るに、極て煩はしき者也。速やかに追却すべしと云へども、只返すべきに非ず。獄禁して、重く誡むべき也。此の後、此の如き怪き事云はむ輩に見懲らしむべき故也」と。即ち、獄の司の者を召して、仰せ給て、獄に禁(いましめ)られぬ。獄の司の者、宣旨の如く、中に重き罪有る者を置く所に籠め居へつ。戸を数へ差しつ。
其の時に、利房、歎き悲て云く、「我れ、仏の教法を伝へむが為に、遥に此の土に来れり。而るに、悪王有て、仏法を未だ知らざるが故に、我れ、重き誡を蒙れり。悲哉。我が大師釈迦牟尼如来、涅槃に入給て後、久く成ぬと云へども、神通の力を以て、新たに見給ふらむ。願くは、我が此の苦を助け給へ」と祈念して、臥したるに、夜に至て、釈迦如来、丈六の姿に紫磨黄金の光を放て、虚空より飛来り給て、此の獄門を踏み壊て入給て、利房を取て去給ひぬ。十八人の賢者、同く皆逃去ぬ。
其の次(つい)でに、此の獄に禁められたる多の罪人、此の如き獄の壊ぬる時に、皆心に随て、方々に逃げ去ぬ。
其の時に、獄の司の者有て聞くに、空に大きに鳴る音有り。怪で出でて見れば、金の色なる人の、長一丈余許にして、金の色の光を放て、虚空より飛来て、獄門を踏壊て入□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ぢ怖れ給ひけり。此れに依て、其の時に天竺より渡らむとしける仏法止て、渡らず成にけり。其の後に、漢の明帝の時に渡る也。
昔し、周の世に、正教、此の土に渡る。亦、阿育王の造れる所の塔、此の土に有り。秦の始皇、諸の書を焼くに、正教も皆焼かれけりと、此なむ語り伝へたるとや。