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text:k_konjaku:k_konjaku5-32

今昔物語集

巻5第32話 七十余人流遣他国語 第卅二

今昔、天竺に七十に余る人を他国に流遣る国有けり。其の国に一人の大臣有り。老たる母を相具せり。朝暮に母を見て、孝養する事限無し。

此の如くして過る間だに、此の母、既に七十に余りぬ。「朝に見て、夕に見ぬそら、尚不審(おぼつかな)さ堪へ難し。何況や、遥なる国に流遣て、長く見ざらむ事、更に堪ふべきに非ず」と思て、子の大臣、密に土の室を掘て、家の角に隠し居へつ。家の人そら、此れを知らず。況や、世の人、知る事無し。

かくて年を経る程に、隣の国より、同様なる牝馬1)二疋を遣(おこ)せて云く、「此の二疋が祖子(おやこ)を定めて、注遣(しるしおこす)べし。若し、然らずば、軍を発して、七日の内に国を亡さむ」と云たり。

其の時に、国王、此の大臣を召て、此の事を、「何が為べき。若し、思ひ得たる事有らば申せ」と仰せ給ふ。大臣の申さく、「此の事、輙く申すべき事に非ず。罷出でて、思ひ廻して申すべし」と云て、心の内に思ふ様、「我が隠し置たる母は、年老たれば、此の如きの事、聞たる事や有らむ」と思て、怱(いそ)ぎ出ぬ。

忍て母の室に行て、「然然の事なむ有る。何様にか申すべき。若し、聞給たる事や有る」と云ふに、母、答て云く、「昔し若かりし時に、我れ此の事を聞きき。同様なる馬の祖子を定むるには、二の馬の中に草を置て見るべし。進て食(くふ)をば子と知り、任せてのどかに食をば祖と知るべし。かく様にぞ聞きし」と云ふを聞て、還り参たるに、国王の、「何が思ひ得たる」と問給ふに、大臣、母の言の如く、「かく様になむ、思ひ得て侍る」と申す。

国王、「尤も然るべし」と宣て、忽に草を召て、二の馬の中に置て見るに、一は置き食ふ、一は此れが食ひ棄たるを、のどかに食ふ。此れを見て、祖子を知て、各札を付て返し遣しつ。

其の後、亦同様に、削たる木の漆塗たるを遣(おこせ)て、「此れが本末、定めよ」とて、奉れり。国王、此の大臣を召て、「亦、此をば何が為べき」と問給へば、大臣、前の如く申して出ぬ。

母の室に行て、亦、「然々の事なむ有る」と云へば、母に云く、「其れは糸安き事也。水に浮べて見るに、少し沈む方を本と知るべし」と。大臣、還り参て、亦、此の由を申せば、即ち、水に入れて見給ふに、少し沈む方を「本」と付て遣しつ。

其の後、亦、象を遣て、「此の象の重さの員(かず)、計(かぞ)へて奉れ」と申したり。其の時に、国王、「此の如く云ひ遣するは、いみじき態かな」と思し煩て、此の大臣を召て、「此れは何が為べき。今度は更に思得難き事也」と。大臣も、「実に然か侍る事也。然りと雖も、罷り出でて、思ひ廻して申し侍む」と云ひて出ぬ。国王、思す様、「此の大臣、我が前にても思得べきに、かく家に出でつつ思ひ得て来るは、頗る心得ぬ事也。家に何なる事の有るにか」と、思ひ疑ひ給ふ。

而る間、大臣、還り参ぬ。国王、此の事をも、「心得難くや有らむ」と思し給て、「何ぞ」と問給へば、大臣、申して云く、「此れも聊に思得て侍り。象を船に乗せて、水に浮べつ。沈む程の水際に、墨を書て注(しるし)を付つ。其の後、象を下しつ。次に石を拾ひ入れつ。象を乗て、書つる墨の本に水量る。其の時に、石を量りに懸つつ、其の後に石の数を惣て計たる数を以て、象の重さに当てて、象の重さは幾(いくば)く有ると云ふ事は知るべき也」と申す。国王、此れを聞て、其の言の如くにし計て、「象の重さ、幾なむ有る」と書て、返し遣しつ。

讎の国には、三の事の知り難きを、善く一事替で度毎に云ひ返したれば、其の国の人、限り無く褒め感じて、「賢人多かる国也けり。おぼろげの有才ならむ者は、知るべくも非ぬ事を、かくのみ云ひ当てて遣すれば、賢かりける国に、讎の心発てば、返て謀られて、罸取られなむ。然れば、互に随て、中善かるべき也」と、年来挑(いど)なみつる心、永く止むで、其の由を牒(ふだ)通はして、中吉く成ぬれば、国王、此の大臣を召して宣はく、「此の国の恥辱をも止め、讎の国をも和らげつる事は、汝、大臣の徳に依て有る事也。我れ、限り無く喜び思ふ。但し、此の如きの、極めて知り難き事を善く知れる、何(いかに)」と。

其の時に、大臣、目より涙の出づるを、袖して押し巾(のごひ)て、国王に申さく、「此の国には、往古(いにしむかし)より、七十に余ぬる人をば、他国へ流し遣事、定れる例也。今、始たる政に非ず。而るに、己れが母、七十に罷余て、今年に至るまで、八年に満ぬ。朝暮に孝養せむが為に、密に家の内に土の室を造て、置て候つる也。其れに、年老たる者は、聞き広く候へば、『若し、聞き置たる事や候ふ』と、罷出でつつ問ひ候て、其の言を以て、皆申し候し也。此の老人、候はざらましかば」と申す時に、国王、仰せ給ふ様、「何なる事に依て、昔しより、此の国に老人を捨つる事有りけむ。今は此れに依て、事の心を思ふに、老たるを貴ぶべきにこそ有けれ。然れば、遠き所へ流し遣たり老人共、貴賤・男女、皆召返すべき宣旨を下すべし。亦、『老人を捨つ』と云ふ国の名を改て、『老を養ふ国』云ふべし」と下されぬ。

其の後、国の政、平かに成て、民、穏かにして、国の内、豊か也けりとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「牝馬一本牡馬ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku5-32.txt · 最終更新: 2016/10/04 12:17 by Satoshi Nakagawa