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今昔物語集

巻5第1話 僧迦羅五百人商人共至羅刹国語 第一

今昔、天竺に僧迦羅と云ふ人有けり。五百人の商人を相具して、一船に乗て、財を求むが為に、南海に出でて行くに、俄に逆風出来て、船を南を指て、吹き持行く事、矢を射るが如し。

而る程に、大なる島まに船を吹き寄せつ。知らぬ世界なれども、陸に寄りたるを賢き事にて、是非を云はず、皆迷ひ下ぬ。

暫く有る程に、端厳美麗なる女、十人許出来て、歌を詠(うたひ)て渡る。商人等、此れを見て、知らぬ世界に来て、歎き悲しむ程に、かく美麗の女多く有るを見て、忽に愛欲の心を発して、呼び寄す。

女、皆逶(つど)ひ寄り来ぬ。近増(まさ)りして、昵(むつまじ)き事限無し。五百の商人等、僧迦羅を始て、皆目出て、女に問て云く、「我等、財を求めむが為に、遥に南海に出でて、忽に逆風に値て、知らぬ世界に来たり。堪へ難く歎き思ふ間、汝達の御有様を見るに、愁への心、皆忘にたり。今は速に我等を将行て養へ。船は皆損じたれば、忽ちに還るべき様も無し」と。女共、「只、何にも命に随ふべし」と云て倡(いざな)へば、商人等、行く。女共、商人等の前に立て、導きて将行く。

家に行て見れば、広く高き築垣、遥に築(つ)き廻して、門、器量(いかめし)く立たり。其の内に将入ぬ。即ち、門に鏁(じやう)を差つ。内に入て見れば、様々の屋共有り。隔(へだて)々、細に造たり。男、一人も無し。只、女の限有り。かくて、商人等、皆取々に妻にして棲むに、互に思へる事限無し。片時も立離るべくも無し。

此の如くして、日来を経るに、此の女共、日毎昼寝を為る事、尤も久し。寝たる顔ほ、美麗ながら、頗る気踈き気有り。僧迦羅、此れを心得ず怪しく思ひて、女共の昼寝したる程に、和(やは)ら起て、所々を見るに、様々に隔たる中に、日来見せぬ所無く皆見せつるに、一つの隔有り。其れを未だ見せず。築垣、固く築き廻せり。門一つ有り。鏁強く差たり。

僧迦羅、喬(そば)より構へて掻き昇て、内を見れば、人多く有り。或は死たり、或は生たり。或は吟(によ)ふ、或は哭く。白き骸(むくろ)、赤き骸多かり。

僧迦羅、一人の生たる人を招き寄すれば、来たるに、「此れは、何なる人の、かくては有ぞ」と問へば、答ふる様、「我は南天竺の人也。商の為に海を行し間、風に放たれて、此の国に来れり。目出(めでた)き女共に耽て、還らむ事をも忘れて棲し程に、見と見る人は皆女也。限り無く相思て有りと云へども、外の商船寄ぬれば、古き夫をば此の如く籠め置て、膕(よぼろ)筋を断て、日の食に宛る也。汝達も、亦船来なば、己等が様なる目こそ見給はめ。構へて逃給へ。此れは、羅刹鬼也。此の鬼は、昼寝る事三時許也。其の間に逃むに、知るべきに非ず。此の籠めたる所は、鉄を以て四面を固めたり。膕筋を断たれば、逃ぐべき様無し。穴悲し。疾々(とくとく)逃げ給へ」と、哭々く云へば、僧迦羅、「さればこそ、怪しとは思ひつる事を」と思て、本の所に還て、女共の寝たる程に、五百の商人等に此の由を告げ廻はしつ。

僧迦羅、怱(いそぎ)て浜へ出るに、商人等も皆、僧迦羅が後に立て、皆浜に出ぬ。為べき方無くて、遥に補陀落世界の方に向て、心を発して、皆音を挙て、観音を念じ奉る事限無し。其の音、糸おびただし。苦(ねんごろ)に念じ奉る程に、息(おき)1)の方より、大なる白き馬、浪を叩て出来て、商人等の前に臥ぬ。「此れ、他に非ず、観音の助け給ふ也」と思て、有る限り此の馬に取付て乗ぬ。其の時に、馬、海を渡て行く。

羅刹の女共、皆寝起て見るに、此の商人等、一人も無し。「逃ぬる也けり」と思て、有る限り追ひしらがひて、城を出でて見れば、此の商人共、皆馬一つに乗て、海を渡て行く。女共、此れを見て、長一丈許の羅刹に成て、四五丈と踊り挙りつ、叫び喤(ののし)る。

商人の中に、一人、妻の顔の美也つるを思ひ出たる者有ける。掻き斫(ひら)ひて、海に落入ぬ。即ち、羅刹、海に下りて、各引きしろひ噉ふ事限無し。

馬は南天竺の陸に至り着て、臥たりければ、商人等、皆喜び乍ら下りぬ。馬は人を下して後に、掻消つ様に失ぬ。僧迦羅、「偏に観音の御助也」と思て、哭々く礼拝して、皆本国に還ぬ。然りと雖も、此の事を人に語らず。

其の後、二年許有る程に、彼の羅刹の女、僧迦羅が妻にて有りし、僧迦羅が一人寝たる所に来ぬ。見しよりも美なる事、倍々(ましま)せり。寄来て云く、「然るべき前世の契り有て、汝と我れ夫婦と成れり。憑む所、尤も深し。而るに、我れを捨て、逃げ給へる事、何ぞ。彼の国には、夜叉の一党有て、時々出来て人を取り噉(くふ)なむ有る。然れば、城をば高く築て、強く固めたる也。其れに、多の人の浜に出でて、喤れる音を聞て、其の夜叉の出来て、嗔れる様を見せて侍けるを、己等が『鬼にて有るぞ』と知り給へる也。更に、然か侍らず。還り給て後、恋ひ悲しむ心深し。汝は同心には思給はぬか」と云て、哭く事限無し。本知らざらむ人は、必ず打解ぬべし。

然れども、僧迦羅は大に嗔て、釼を抜て2)切らむと為れば、限り無く怨て、其の家を出ぬ。王宮に参りて、国王に申さする様、「僧迦羅は我が年来の夫也。而るに、我れを捨てて棲まぬ事、誰にか訴へ申さむや。天皇、此れを裁はり給へ」と。かく云ふを、王宮の人、皆出でて見るに、美麗なる事並無し。此れを見て、愛欲を発さざる者無し。

国王、此の由を聞き給て、密に見給ふに、実に美麗並無し。若干の寵愛の后に見競ぶるに、彼れは土の如し。此れは玉の如し。「此れを棲まざる僧迦羅が心拙し」と思給て、僧迦羅を召して問はるるに、答申して云く、「此れは人を殺せる鬼也。更に王宮に入れらるべからず。速に追出さるべし」と申して出ぬ。

国王、此れを聞き給ふと云へども、信じ給はずして、深く愛欲の心を発して、夜る、後の方より、大殿に召しつ。国王、近く召寄て見給ふに、実に近増り倍々せり。懐抱の後は、更に此の愛染3)に依て、国の政を知給はず。三日起給はず。

其の時に、僧迦羅、王宮に参て申さく、「世に極たる大事、出来なむとす。此れは、鬼の女と変じたる也。速に害せらるべき也」と云へども、一人として耳に聞入るる者無し。

此の如くして、三日過ぬ。明る朝に、此の女、大殿より出でて、端に立てり。人、此れを見れば、眼見(まみ)替て、頗る怖しき気有り。口に血付たり。暫く見廻して、殿の檐より、鳥の如くして飛て、雲に付て失ぬ。国王に事の由を申さむが為に、人寄て伺ふに、惣て御音・気色無し。

其の時に、驚き怪むで、寄て見れば、御帳の内に血流れて、国王見え給はず。御帳の内を見れば、赤き御髪(みぐ)し一つ残れり。其の時に、宮の内、騒ぎ動ずる事限無し。大臣・百官集て、哭き歎くと云へども、更に甲斐無し。

其の後、御子即ち位に即(つき)給ぬ。僧迦羅を召て、此の事を問はる。僧迦羅、申して云く、「然れば、速に害せらるべき由を度々申しき。今、我れ彼の羅刹国を知れり。今、宣旨を奉(うけたまはり)て、行て、彼の羅刹を罸(うち)て奉らむと思ふ」と。

宣旨に云く、「速に行て、罸つべし。申し請むに随て、軍を給ふべし」と。僧迦羅、申して云く、「弓箭を帯せらむ兵万人、釼を帯せらむひたぶる万人、百の駿(とき)船に乗せて、出し立てらるべし。其れを相具して行むと思ふ」と。「申し請ふに寄るべし」とて、即ち出し立てられぬ。

僧迦羅、此の二万の軍を引具して、彼の羅刹国に漕ぎ着ぬ。前の如く、商人の様なる者共、十人許を浜に遣て遊ばしむ。亦、美麗の女、十人許出来て、歌を詠て寄て、此の商人等に語ひ付ぬ。前の如くに、女を前に立てて行く。其の尻に、此の二万の軍立つ。

行く間、乱れ入て、此の女共を打ち切り射る。暫くは恨みたる形を現じ、美麗の様を見せけれども、僧迦羅、大に音を放て、走り廻りつつ行ひければ、形を隠す事能はず。終に羅刹の形に成て、大に口を開て懸る時に、釼を以て頸を打ち落し、或は、肩を打ち落し、或は、腰を打ち折ぬ。惣て、全き鬼は一人も無し。或は、飛て去る夜叉有れば、弓を射て落しつ。一人として遁るる者無し。屋共には火を付て焼き失なひつ。

空き国と成して後、国王に此の由を申しければ、其の国を僧迦羅に給ひつ。而れば、僧迦羅、其の国の王として、二万の軍を引具してぞ住ける。本の栖(すみか)よりも、楽しくてぞ有ける。

其れより、僧迦羅が孫、今に其の国に有り。羅刹は永く絶にき。然れば、其の国をば、「僧迦羅国」と云ふ也となむ語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「息一本西ニ作ル」
2)
底本「抜ヲ」。誤植とみて訂正
3)
底本頭注「愛染諸本愛欲ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku5-1.txt · 最終更新: 2016/08/31 14:34 by Satoshi Nakagawa