今昔物語集
巻4第24話 龍樹俗時作隠形薬語 第廿四
今昔、西天竺に、龍樹菩薩と申す聖人在しけり。初め俗に在ける時には、外道の典籍の法を習へり。
其の時に、俗三人有て、語ひ合せて、隠形の薬を造る。其の薬を造る様は、寄生(やどりぎ)を五寸に切て、陰干に百日干て、其れを以て造る薬になむ有ける。其れを以て、其の法を習て、其の木を髻に持(たも)てれば、隠蓑と云らむ物の様に、形を隠して、人見る事無し。
而るに、此の三人の俗、心を合せて、此の隠形の薬を頭に差て、国王の宮に入て、諸の后妃を犯す。后達、形を見えぬ者の、寄り来て触れば、恐ぢ怖れて、国王に忍て申す。「近来、形は見えぬ者の寄り来て、触る者なむ有る」と。
国王、此の事を聞て、智(さと)り御ける人にて、思ひ給ふ様、「此れは、隠形の薬を造て、かく為るにこそ有めれ。此れを為べき様は、粉を王宮の内に隙無く蒔てむ。然れば、身を隠す者也と云ふとも、足の形付て、行かむ方は騒しく顕はれなむ」と構へられて、粉を多く召して、宮の内に隙無く蒔つ。粉と云ふは、八うに1)也。
此の三人の者、宮の内に有る時に、此の粉を蒔き籠めつれば、足の跡の顕るるに随て、太刀抜きたる者共を多く入れて、足跡の付く所を押量りて切れば、二人は切伏られぬ。
今一人は、龍樹菩薩に在ます。切られ侘びて、后の御裳の裾を曳き被ぎて、臥し給て、心の内に多の願を発し給ふ。其の気にや有りけむ、二人切伏られぬれば、国王、「然ればこそ、隠形の者也けり。二人こそ有りけれ」と宣て、切る事をば止められぬ。其の後、人間(ひとのひま)を伺て、此の龍樹菩薩は相ひ構へて、宮の内をば逃げ遁れ給ひぬ。
其の後、「外法は益無」とて、□□2)の所に御して、出家し給て、内法を習ひ伝へて、名をば龍樹菩薩と申す。世挙て崇め奉る事限無しとなむ、語り伝へたるとや。