今昔物語集
巻4第11話 天竺羅漢比丘値山人打子語 第十一
今昔、天竺に一人の羅漢の比丘有り。道を行くに、一人の山人に値ぬ。山人、一人の幼童を相ひ具たり。笞を以て1)幼童を打て、哭(なか)しむ。
羅漢、此れを見て、山人に問て云く、「汝ぢ、何の故有て、此の幼童を打て哭かしむるぞ。亦、此の幼童は汝が何ぞ」と。山人、答て云く、「此れは己れが子に侍り。而るに、声問明2)□□と云ふ文を教ふるに、え読取(おぼえとら)ねば、其れに依て、打て教ふる也」と。
其の時に、羅漢咲ふ。山人、「何ぞ咲ふ」と問へば、羅漢の云く、「汝ぢ、前生の事を知らずして、児を打つ也。此の教ふる所の文は、此の児の、昔、山人と有りし時、造れる所の文也。其れに、此の如く文を造て、世に弘むる事は、只今は賢き様なれども、後の世には、露許も益を得る事無ければ、かかる愚痴の身と成て、前世の事をも知らで、自ら作れる所の文をも読取らざる也。猶、仏法の方の事は、当時は指(させ)る事無き様なれども、末の世には、過にし方の事共を只今見る様に思え、今来らむずる事共をも兼て知る事なれば、必ず仏法を習ふべき也。亦、汝に昔の事共、語て聞せむ。善く聴て持つべし。
昔、南海の浜を、旅人共、多く具して行くに、浜辺に、枯たる大なる樹、一本立り。此の人共、風の寒さに堪へずして、此の樹も本に宿しぬ。火を焼きて、皆並び居て、夜を曙(あか)す。而るに、此の樹のうつろの上に、五百の蝙蝠住めり。此の火の煙に熏(ふすべら)れて、皆、『去なむ』と思ふ程に、暁方に成る程に、此の商人の中に一人有て、阿毗達磨と云ふ法門を読む。此の蝙蝠等、煙に熏られて堪へ難けれども、此の法門を誦するを聞くが貴さに、念じて、皆木のうつぼに付て居り。火の勢、高く燃え上がりぬれば、痛く炮(やか)れて皆死ぬ。一として生きたる蝙蝠無し。
死て後に、此の法門を聞しが故に、皆人界に生れぬ。皆、出家して、比丘と成れり。法門を悟りて、羅漢と成りにけり。其の羅漢の中に、一人は我れ也。然れば、猶、仏法には随ふべき也。其の児をば、出家せしめて、法門を学べ」と教ふ。
山人をも、「仏法に随ふべき也」と云へば、児をば出家せしめつ。山人も仏法に随ひぬ。其の後、羅漢、掻消つ様に失ぬ。其の時に、山人、大に驚き貴びて、弥よ仏法を深く信ずる事限無し。
此の事、仏3)、涅槃に入給て後、百余年の程の事なるべしとなむ語り伝へたるとや。