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text:k_konjaku:k_konjaku30-7

今昔物語集

巻30第7話 右近少将□□□□行鎮西語 第七

今昔、右近の少将□□の□□と云ふ人有けり。形ち・有様美麗にして、心ばへ可咲かりけり。其の中に、管絃をなむ極く好ける。

其の人、九月の中の十日許の程に、月の糸おもしろ1)かりける夜、人の許へ行けるに、□□と□□との辺に、極く荒たる家の、木立などおもしろ2)き有けり。其の内に、髴(ほのか)に音の聞えければ、少将、此を極く興じける人にて、車より下て、「此は何なる人の住ならむ」と、心悪3)く思て、中門の廊の脇に隠れて、立て見れば、西の対の簾を少し巻上て、放出(はなちいで)の間に向て、年廿許なる女の、云はむ方無く可咲気なる、前に箏を置て弾居たる手つき、月に□□て、糸微妙く可咲く見ゆ。

少将、此れを見るに、心移り畢て、行く方の事は忘にけり。女房の前に、小き童一人居たりけり。亦、人も無かりければ、少将、「此る折はよも有らじ」と思て、押て入にけり。女、隠るべき方も無かりければ、奇異(あさまし)く思けれども、辞ぶべき様無くて、近付にけり。少将、女の気はひ・有様など、世に似ず微妙かりければ、類(た)ぐひ無く哀れに糸惜く思けれども、然て有るべき事に非ねば、暁に成たるを、女も、「夜明なむ」とて侘ければ、少将、限無く云ひ契て出にけり。

其の後は輙く会ふ事も無かりければ、少将、此れを歎つつ有ける程、此の女は□□の□□と云ける人の娘也けり。其れが母堂失にければ、父、妻を儲て此の娘を知らざりければ、母堂の失たる家に独り残り留て居たる也けり。

而る間、父、太宰の大弐に成にければ、鎮西に下けるに、此の娘を年来は知らざりけれども、「京に此ては、何にしてかは有らむと為る」と云て、具して下らむと為るを、少将、此れを聞て、「京に有つればこそ、会ふ事難き歎をしつつも過(すごし)つれ。鎮西に祖(おや)に具して下なむには、何にしてかは見るべき」と、哀れに心細く思けれども、止むべき様無ければ、極く泣き歎けれども甲斐無くて、女、下にけり。

其の後は、少将、惣て世に有るべくも更に思はざりければ、後には病に成て、年月を経るに、尚侘て堪難く、死ぬべきまで思ければ、「然は、今一度相ひ見では、何でか有らむ」と思て、公に暇を申し、父の大納言□□と云ける人にも、「白地(あからさま)に物に詣でむ」と云ひ、忍て窃に出立て、鎮西へ下けるに、随身一人・小舎人童一人・馬舎人許にて、只行着く所を泊にて、此の者共に養はれて行ける程に、日来を経て、既に太宰府に下着て、尋ぬべき方無かりければ、構て京にて前に居たりし童を尋て、呼出したりければ、童、「穴、極じや。此は何にして御しつるぞ」と云て、主の女に告たりければ、主、会て、哀れと思たる気色也。

少将、「尚、世の中にも有難く思えて、死ぬべく成にたれば、『今一度対面せむ』と思てなむ」と云ければ、女、「哀れに此くまで思給ける事」と云て会たりければ、少将、やがて此(と)も彼(かく)も云はで、暁に馬に打乗て、京に返り上らむとしければ、女、「何にしてか行くべき」と云けれども、遁るべくも無かりければ、「何にかはせむ」と思て行けるに、十二月許の程也ければ、雪極く降て、風の気色堪難かりけれども、「只疾く行着なむ」と思て、怱て行けるに、日の暮るままに雪の降積るも知らず行々て、暗く成にければ、行き宿る所も無くて、只墓無く木の本に下居て、「此は何くとか云ふ」と問ければ、人有て、「此をば山井となむ申す」と云ければ、流々れ行く水を結び上て、食物なむど構て、女にも食はせ、我等なども食てけり。

此様に道の過けるも、此の共なる者共の、墓無き軽物などを持たりければ、此彼して養けるに、此は無下に人気も遠くて、故へ無く心細く思ひ次(つづ)けられて、遥々と見え渡けるに、過にし方行末などの哀れなる事共を互に語りつつ泣けり。

而る間、少将、隠れなる方に、「白地さまに」とて行にけるが、良(やや)久く見えざりければ、女、「何かに久くは見えぬか」と思て、共なる者共に告れば、其等、行て見ければ、少将も無し。

女、驚て、小田深く行て見ければ、垣の有る傍に、少将の狩衣の袖の限り懸りたり。女、此れを見て、「穴極(いみじ)」とだに、更に云はれず。迷はれて、尚奥を見ければ、其の後の方に、少将の履(はき)たりつる□□の片足のみ有り。取上て見れば、只足の平のみぞ有ける。悲く極き事、云へば愚にて、女の前に此れを持行て、臥し丸(まろ)び泣き迷ふ。此れを見る女、何許思えけむ。やがて其こに泣臥にけり。

然て、二日許其に有ける程に、女の祖の大弐、此と聞て、鎮西より数の人を遣(おこ)せて尋けるに、亦、少将の祖の大納言の許よりも、「少将、鎮西へ行にけり」と聞て、人を遣けるに、共に此の木の本に、尋ね来り会にけり。

此と見て、使、喜び乍ら、「何で、少将は」と問けれども、答ふべき方無し。辛くして、「然々」と云ければ、使、奇異く泣迷へども、更に甲斐無し。鎮西の使は、「今は甲斐無し」と云て、女を、「去来(いざ)給へ」とて、鎮西へ将行かむと為れども、泣迷て泣き臥して、起も上らねば、使、(下文欠)

1) , 2)
底本言偏に慈
3)
「にく」底本異体字。りっしんべんに惡
text/k_konjaku/k_konjaku30-7.txt · 最終更新: 2015/04/01 04:45 by Satoshi Nakagawa