ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:k_konjaku:k_konjaku28-37

今昔物語集

巻28第37話 東人通花山院御門語 第卅七

今昔、東の人、否(え)知らずして、花山院の御門を馬に乗乍ら渡にけり。院の内より人々出来て、此れを見て、走り寄て、馬の口を取り鐙を抑へて、御門の内に只引入れに引入れつ。

中門の許に、乗せ乍ら、此彼(とかく)潗㵫(ひしめく)とて喤るを、院、聞食て、「何事を喤るぞ」と問はせ給ひければ、「御門を馬に乗て渡る者を、乗せ乍ら引入れて候ふ也」と申ければ、院、此れを聞食て、嗔らせ給て、「何かで我が門をば、馬に乗て渡るべきぞ。其奴、乗せ乍ら南面に将参れ」と仰せ給ければ、人二人して馬の左右の轡を取り、亦二人は左右の鐙を抑さへて、南面に将参るぬ。

院は寝殿の南面の御簾の内にて御覧じけるに、年卅余許の男の、鬚黒く鬢つき吉きが、顔少し面長にて、色白くて形ち月々(つきづき)しく、綾藺笠をも着せ乍ら有るに、笠の下より□□て見ゆる顔、現に吉き者と見えて、「魂有らむ」と見ゆ。紺の水旱に白き帷を着て、夏毛の行騰の星付き白く色赤きを履(はき)たり。打出の大刀を帯て、節黒の胡録の、雁胯二、並に征箭四十許差たるを負たり。蚕簿(えびら)は塗蚕簿なるべし。黒く□□めきて見ゆ。猪の片股を履たり。革所々巻たる、弓の太きを持たり。真鹿毛なる馬の法師髪にて、長五つき許なるが、足固くて、年七八歳許也。「哀れ一物(いちもつ)や。極じの乗馬かな」と見ゆ。左右の口を取られて、極じく翔(ふる)まふ。弓は、御門乗せ乍ら引入れける程に、院の下部、取て持たり。

院、馬の極く翔ふを御覧じて、感ぜさせ給て、庭を度々引廻らかすに、馬、小駕(こあがり)しつつ極く翔へば、「鐙抑たる者をも去け、口をも免せ」と仰せ給て、皆去かれぬれば、馬、弥よ早るに、男、手縄を取緩めて、馬を掻□□れば、馬、平に成て、膝を折て翔ふ。

然れば、「極く乗たり」と、返々す感ぜさせ給て、「弓持せよ」と仰せ給ければ、弓を取らせたれば、男、弓を取て脇に夾むで、馬を翔はす。其の間、中門に、人、市を成して、見喤る事限無し。

然る程に、男、庭を打廻て、中門に馬を押宛て、掻て馬を出せば、馬、飛ぶが如くにて、走り出づ。然れば、中門に集たる者共、俄に去も敢へで、追しらがひて、或は馬に蹴られじと走る者も有り、或は馬に蹴られて倒るる者も有り。

其の間に男は御門を馳出て、洞院下(くだり)に、飛ぶが如くにして、逃て去ぬ。院の下部共、後ざまに立て追ひけれども、馳散じて行かむには、当に追着なむやは。遂に行けむ方も知らずして、失にけり。院は、「此奴は極かりける盗人かな」と仰せられて、強にも腹立せ給はず成にければ、尋ねらるる事も無て止にけり。

男の「馳散じて逃げなむ」と思ひ寄けむ心こそ、極て太けれども、逃にければ、云ふ甲斐無き嗚呼の事にて止にけりとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku28-37.txt · 最終更新: 2015/02/23 17:57 by Satoshi Nakagawa