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text:k_konjaku:k_konjaku28-35

今昔物語集

巻28第35話 右近馬場殿上人種合語 第卅五

今昔、後一条の院の天皇の御代に、殿上人・蔵人有る限り員を尽くして、方を分て種合(くさあわせ)為る事有けり。二人の頭を左右の首として書分ちてけり。其の頭は、左は頭の弁藤原の重尹、右は頭の中将源の顕基の朝臣等也。此く書分て後は、互に挑む事限無し。日を定めて、北野の右近の馬場にして、有るべき由を契りつ。

而る間、方人共、各世の中に有難き物をば、諸宮・諸院等、寺々・国々・京・田舎と無く、心を尽くし肝(き)も迷(まど)はして、求め騒ぎ合たる事、物にも似ず。殿上人・蔵人のみに非ず、蔵人所の衆・出納・小舎人に至るまで書分ちたりければ、其れも皆、世々の敵の如く行合り。所々も書分て後は、物をだに云合ずぞ有ける。何に況や、殿上人・蔵人は兄弟・得意なる人なれども、左右に別にければ、挑む事、只思ひ遣るべし。

此く為る程に、既に其の日に成たれば、右近の馬場の大臣屋に、各(おのお)の渡りぬ。殿上人は微妙き襴(とのゐ)姿にて、車に乗り烈(つれ)て、集会の所より渡ぬ。其の集会の所をば、兼てより定めたりければ、各宵に集にけり。其の所より大臣屋へ渡る有様、云尽すべからず。大臣屋の前に、埒(らち)より東に、南北向様に、錦の平屋を卯酉に長く立て、同錦の幔を引廻して、其の内に種合せの物共をば悉く取置たり。

出納・小舎人など、平張の内にて、皆此れを俸(おきて)つ。殿上人は大臣屋の中の間を分て、左は南、右は北に別れて、皆な着並ぬ。蔵人所の衆・滝口も皆別れて、庭に艶ぬ装束共にて、左右に居ぬ。埒より西には、其れも南北に向様に。勝負の舞の料に、錦の平張を立て、其の内に楽器を儲け、舞人・楽人等各居たり。其の喬々(わきわき)には、京中の上中下、見物に市を成したり。女車、立敢へぬ所無し。其の中に、関白殿、忍て、女車の様にて、埒より東の左の方屋の面の喬に立て御覧じけり。

而る間、既に其の時に成ぬれば、大臣屋の前にして、次第に座を敷て、口聞き吻(さきら)有て、物可咲く云ふ者を各儲て、其の座に向様に居ぬ。員を差すべき物の風流、財を尽して、金銀を以て荘(かざ)れり。亦、員差(かずさし)、座に居ぬれば、既に合するに、互に勝負有る間、言を尽し論ずる事共多かり。

半許に成る程に、左の方より、近衛舎人下野の公忠が盛の御随身にて有ける時に、左の競馬の装束の微妙きを着せて、艶ぬ馬に微妙き平文の移(うつし)を置て、其れに乗せて方屋の南より馬場に打出たり。実に、諸の人、此れを見るに、尤も興有り。

埒の内に打廻て、鞭を取り直して立たてる程に、右の方屋より打出たる者有り。見れば、老法師の極気(いみじげ)なるに、□たる冠をせさせて、狗の耳垂たる様なる老懸をせさせて、右の競馬の装束の旧く弊(つたな)きをせさせて、枯鮭を太刀に帯(は)げて、装束をも片喎(かたゆがめ)下腰にせさせて、袴は踏含(ふみくくま)せて、帞袼(まかう)も猿楽の様なるを、女牛に結鞍と云物を置て、其れに乗せて出したり。公忠、此れを見て、大きに嗔て、「由(よ)し無き殿原の、宣ふ事に付て、此る恥を見つる」と云て、棄て打入ぬ。

其の時に、右の方に、公忠が嗔て入るを見て、手を扣て咲ひ合たる事限無し。相撲の負て入るを咲ふが如し。咲ふと等しく、右の方に乱声を発して、落蹲の楽をして、落蹲の舞を出す。本より勝負の舞、有べき支度にて、左にも陵王の舞を儲たりけれども、未だ畢てぬに、此く落蹲を出せば、左には「何為る事ぞ」など云ひ合たるに、関白殿、忍て女車の様にて御覧じけるに、此く落蹲の出るを、「奇異也」と思食て、忽に人を召て、「其の落蹲の舞人、慥に搦めよ」と高く仰せ給ふ時に、落蹲の舞人、踊て入ぬ。

然て、装束も解かずして、逃て、馬に乗て、西大宮下(くだり)に馳て行けり。其の舞人は多の好茂也。「面形を取去らば、人もぞ見知る」と思ければ、面形をし乍ら、申の時許に馳て行ければ、大路の人は、「彼(あ)れ見よ。鬼の昼中に馬に乗て行くを」と、云ひ喤て、幼き者などは、此れを見て恐迷て、「実の鬼也けり」と思けるにや、病付たる者も有けり。

然て、関白殿は、「未だ勝負も切らぬに、落蹲の出たる事を止めむ」と思食て、「搦めよ」とは仰せ給ひける也。実には搦められぬに、「搦めよ」と仰せ給ふ御音を聞て逃るも理也。

其の後ち、好茂、勘当にて、久く公に仕へざりけり。亦、右の方人共をぞ、頭の中将より始めて、六借(むづが)らせ給ひけり。然れば、右の方人共は、関白殿をぞ、「左の方によらせ給ひたりけり」と云て、憎申けり。此れは、「公忠が御随身にて有ければとやにや1)」とぞ、世に疑ひける。

事半(はした)無く成にければ、方人共、皆苦く成て止にけり。其の中に落蹲の舞人の面形をし乍ら、馳て逃たる事をぞ、世の人咲ける。

然れば、此る挑事は、昔より必ず事出来る事にてぞ有けるとなむ語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「トヤノ二字ハ衍カ」
text/k_konjaku/k_konjaku28-35.txt · 最終更新: 2015/02/22 16:28 by Satoshi Nakagawa