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text:k_konjaku:k_konjaku28-32

今昔物語集

巻28第32話 山城介三善春家恐蛇語 第卅二

今昔、山城の介にて、三善の春家と云ふ者有き。前の世の蝦蟆にてや有けむ、蛇なむ極く恐ける。世に有る人許、誰も蛇を見て恐れぬ人無けれども、此の春家は、蛇見ては物狂はしくなむ見えける。

近くは夏比、染殿の辰巳の角の山の木隠れに、殿上人・君達二三人許行きて、冷(すず)みて物語などしける所に、此の春家も有けり。其れは人の当りもこそ有れ、この春家が居たりける傍よりしも、三尺許なる烏蛇の這出たりければ、春家は否見ざりけるに、君達の、「其れ見よ、春家」と云ければ、春家、打見遣たるに、袖の傍より去たる事一尺許に、三尺許の烏蛇の這行くを見付て、春家、顔の色は朽し藍の様に成て、奇異(あさまし)く堪へ難気なる音を出して、一音叫て、否立も敢ず。立むと為る程に、二度倒れぬ。

辛くして起て、沓をも履かず□にて走り去て、染殿の東の門より走り出て、北様に走て、一条より西へ、西の洞院まで走て、其より南へ、西洞院下りに走り、家は土御門西の洞院に有ければ、家に走て入たりけるを、家の妻子共、「此は何なる事の有つるぞ」と問へども、露物も云はず。装束をも解かず。着乍ら低(うつぶし)に臥にけり。人寄て問へども、答ふる事無し。装束をば人寄て丸(まろ)ばし解きつ。物も思えぬ様にて臥たれば、湯を口に入るれども、歯をひしと咋合(くひあは)せて入れず。身を捜れば、火の様に温(あたたまり)たり。

妻子、此れを見て、肝をつぶらして、「奇異(あさまし)」と思ふ程に、春家が走ける後に、従者も否知らで隠れの方に有ける程に、宮の雑色一人、「糸可咲」とは思(おぼゆ)れども、送れて走けるが、家に入り来るに、妻子、「此は何なる事の有つれば、此の主は此く走来て臥たる」と問へば、宮の雑色、「蛇を見給て、逃て走給つれ。御共の人も、皆『冷む』とて、隠の方に候ひて、知り候はざりつれば、己が『送れ奉らじ』と、走り候ひつれども、否走り着奉らでなむ」と云へば、妻子、此れを聞て、「前々も然か有けるは。例の物狂はしき物恐(ものおぢ)し給ふらむ」と云て咲ける。家の従者共も咲けり。其の後ぞ、共に有ける者共も来たりける。

実に何に可咲かりけむ。五位許の者の、昼中に大路を歩にて、□□なる者の指貫の喬(そば)取て、喘(あへぎ)喘ぎて、七八町と走けむは、大路の者、此れを見て何かに咲ひけむ。

其の後、一月許有てぞ、春家、染殿に参たりけるに、物静かにも候はずして、周(あわて)たる気色してぞ、罷出にければ、人々此れを見て、目瞬(めくはせ)をしつつぞ咲ひ合へりける。

然れば、春家が蛇に恐る事、世の人の蛇に恐る様には違たりかし。蛇は忽に人を害せねども、急(き)と見付つれば、気六借(むづかし)く疎ましき事は、彼れが□□なれば、誰も然は思ゆるぞかし。然れども、春家は糸物狂はしくぞ有けるとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku28-32.txt · 最終更新: 2015/02/20 20:28 by Satoshi Nakagawa