今昔物語集
巻28第21話 左京大夫□□付異名語 第廿一
今昔、村上の天皇の御代に、旧(ふるき)宮の御子にて、左京大夫□□と云ふ人有けり。長少し細高にて、極くあてやかなる様はしたれども、有様・姿なむ嗚呼也ける。
頭の鐙頭也ければ、纓は背に付かずして、離れてなむ振られける。色は露草の華を塗たる様に青白にて、眼皮(まなこゐ)は黒くて、鼻鮮に高くて色少し赤かりけり。唇は薄く色も無くて、咲(ゑめ)ば歯がちなる人の、歯肉(はじし)1)は赤なむ見えける。音は鼻音にて高かりけり。物云へば、一内響てぞ聞えける。歩びば背を振り尻を振てぞ歩びける。其の人、殿上人にて有けるに、責て色の青かりければ、□□の殿上人、皆此れを青経の君とぞ付けるを咲ひける。
就中に、若き殿上人共の勇み寵(ほこり)たるは、此の青経の君を起居に付けて、安からず極く咲ひければ、天皇、此れを聞食し余りて、「殿上の男共、此れを此く咲ふ、糸便無き事也。父の御子、此れを聞かば、此く制止するをば知らずして、我をこそ恨まれむとすれ」と仰せ給ひて、まめやかに六(むづ)借らせ給ひければ、殿上人共、皆舌哭(したなき)をして、此れより後は咲ふまじき由を云ひ契てけり。
然て、起請しける様は、「此く六借らせ給へば、今より後、永く青経と呼ぶ事を停止(とどめ)ぬ。若し此く起請して後、青経と呼たらむ人には、酒・肴・菓子など取出させて、贖(あがひ)せむ」と契てけり。
其の後、幾も無くて、堀川の兼通の大臣の、中将にて御ましけるが、此の起請を急(き)と忘れにければ、吝2)無(あぶなく)く此の人の立て行く後を見て、「彼の青経丸は何ち行くぞ」と宣けるを、殿上人共、此れを聞て、「此く起請を壊つる事は、糸便無き事也。然れば、云ひ定めし様に、速にやがて酒・肴・菓子取に遣て、其の事贖ふべし」と、集て責喤ければ、堀川の中将、戯れて、「為じ」と辞(すま)ひ給けれども、集てまめやかに責ければ、中将、「然らば、明後日(あさて)許、此の青経呼たる事は贖はむ。其の日、殿上人・蔵人、有る限り集り給へ」と云て、里へ出給ひにけり。
其の日に成て、「堀川の中将、青経の君呼たる過(とが)贖ふべし」とて、殿上人、皆参らぬ人無く、皆参たり。殿上に居並て待つ程に、堀川の中将、襴(とのゐ)姿にて、形は光る様なる人の、愛敬は泛(こぼれ)に泛て、艶(えもいは)ず馥くて参り給へり。襴(なほし)のなよよかに微妙き裾より、青き出褂(いだしうちぎ)をしたり。指貫も青き色の指貫を着たり。随身四人に、皆青き狩衣・袴・袙を着せたり。一人には、青く綵(いろどり)たる折敷に、青瓷(あをじ)の盤(さら)に蓿(こくは)を□て盛て居(すゑ)たるを持せたり。一人には、青瓷の瓶に酒を入れて、青き薄様を以て口を裹て持せたり。一人には、青き竹の枝に、青き小鳥五つ六つ許付て持せたり。此等を殿上の口より、持次(もてつづ)きて、殿上の前に参たれば、殿上の人共、此れを見て、皆諸音に咲喤事愕(おび)ただし。
其の時、天皇、此れを聞食て、「此は何事を咲ぞ」と問はせ給ければ、女房、「兼通が青経呼て候へば、其の事に依て殿上の男共に責められて、其の罪を贖ひ候ふを、咲ひ喤り候ふ也」と申しければ、天皇、「何様にして贖ふぞ」とて、日の御座に出させ給て、小蔀より臨(のぞか)せ給けるに、兼通の中将、我が身より始めて、随身も皆ひた青なる装束をして、青き食物の限を持せて参たれば、「此れを咲ふ也けり」と御覧じて、可咲く思食ければ、否(え)腹立せ給はで、天皇も極く咲はせ給ける。
其の後は、まめやかに六借らせ給ふ事も無かりければ、殿上人共、弥よなむ咲ひ給ける。然れば、青経の君に異名付て止にけりとなむ語り伝へたるとや。