今昔物語集
巻26第8話 飛騨国猿神止生贄語 第八
今昔、仏の道を行ひ行(ある)く僧有けり。何くとも無く行ひ行ける程に、飛騨国まで行にけり。
而る間、山深く入て、道に迷にければ、出づべき方も思えざりけるに、道と思しくて、木の葉の散積たりけるうへを分行けるに、道の末も無て、大なる滝の、簾を懸たる様に、高く広くて落たる所に行着ぬ。返らむとすれども、道も覚えず、行むとすれば、手を立たる様なる巌の岸の、一二百丈許にて、掻登るべき様も無れば、只、「仏助け給へ」と念じて居たる程に、後ろに人の足音しければ、見返て見に、物荷たる男の笠着たる、歩て来れば、「人来るにこそ有けれ」と喜(うれし)く思て、「道の行方問む」と思ふ程に、此の男、僧を見て、極く怪気に思たり。
僧、此の男に歩び向て、「何(いづ)こより、何(いか)で御する人ぞ。此の道は、何こに出たるぞ」と問へども、答ふる事も無て、此の滝の方に歩び向て、滝の中に踊り入て失ぬれば、僧、「此れは人には非で、鬼にこそ有けれ」と思て、弥よ怖しく成ぬ。
「我は、今は何にも免れむ事難し。然れば、此の鬼に喰はれぬ前に、彼が踊り入たる様に、此の滝に踊り入りて身を投死なむ。後には鬼咋(くふ)とも、苦しかるべきに非ず」と思得、歩び寄て、「仏、後生を助け給へ」と念じて、彼が踊り入つる様に、滝の中に踊り入たれば、面に水を灑ぐ様にて、滝を通ぬ。「今は水に溺れて死ぬらむ」と思ふに、尚移し心の有れば、滝は只一重にて、早う簾を懸たる様にて有也けり。
滝より内に道の有けるままに行ければ、山の下を通て、細き道有り。其(そこ)を通り畢ぬれば、彼方に大きなる人郷有て、人の家多く見ゆ。然れば、僧、「喜し」と思て、歩び行程に、此の有つる物、荷たりつる物をば置て、走り向て来る。後に長(おとな)しき男の、浅黄上下着たる、「後れじ」と走り来て、僧を引へつ。
僧、「此は何に」と云へば、此の浅黄上下着たる男、只、「我が許へ。去来(いざ)給へ」と云て引将(ひきゐて)行に、此方彼方より、人共数(あまた)来て、各「我が許へ。去来給へ」と云て引しろへば、僧、「此は何(いかに)為る事にか有む」と思ふ程に、「此く狼(みだり)がはしくな為そ」とて、郡殿に将参て、其の定めに随てこそ得め」と云て、集り付て将行ば、我にも非して行程に、大きなる家の有に将行ぬ。
其の家より、年老たる翁の事々し気なる出て、「此は何なる事ぞ」と云へば、此の物荷つる男の云く、「此れは日本の国より将詣来て、此の人に給ひたる也」と、此の浅黄の上下着たる者を指て云へば、此の年老たる翁、「此(と)も彼(かく)も云ふべきに非ず。彼の主の得べきななり」と云て取せつれば、異者共は去(い)ぬ。
然れば、僧、浅黄の男に得られて、其れが将行方に行く。僧、「此れは皆鬼なめり。我をば将行て噉(く)はむずるにこそ」と思ふに、悲くて涙落つ。「日本の国と云つるは、此は何なる所にて、此く遠気には云ならむ」と、怪び思ふ気色を、此の浅黄の男見て、僧に云く、「心得ずな思給ひそ。此れは糸楽き世界也。思ふ事も無て、豊にて有せ奉む為(ずる)也」と云ふ程に、家に行着ぬ。
家を見れば、有つる家よりは少し小けれども、有るべかしく造て、男女の眷属多かり。家の者共、待喜て、走り騒ぐ事限無し。浅黄の男、僧を、「疾く上り給へ」とて、板敷に呼上れば、負たる笈(おひ)と云ふ物を取て、傍に置て、蓑笠・藁沓など脱ぎて上ぬれば、糸吉く□たる所に、居へき。「先づ物疾く参(まゐらせ)よ」と云へば、食物持来たるを見れば、魚・鳥を艶(えもいは)ず調へたり。僧、其れを見て、食はず居たれば、此の浅黄の男出来て、「何と此をば食さぬぞ」と。僧、「幼くて法師に罷り成て後、未だ此る物をなむ食ねば、此く見居て侍る也」と云へば、浅黄の男、「現に其れは然も侍るらむ。然れども、今は此(かく)御ましぬれば、此の物共食はでは、否(え)有らじ。悲く思ひ侍る娘の一人侍るが、未だ寡(やもめ)にて、年も漸く積々て侍れば、其(そこ)に合せ奉らむずる也。今日よりは、其の御髪をも生(おほ)し給て御ませ。然りとて、今は外へ御すべき方も有まじ。只、申に随て御せ」と云ければ、僧、「此く云むに違て心を持成さば、殺されもこそ為れ」。怖く思るに合せて、遁れ行くべき方も無れば、「習ひ無き事なれば、然申す許也。今は只、宣はむにこそ随め」と云へば、家主喜て、我が食も取出て、二人指向て食てけり。僧、「仏、何に思食らむ」と思けれども、魚・鳥も能く食畢つ。
其の後、夜に入て、年廿許なる女の、形有様美麗なるが能く装束きたるを、家主押出して、「此れ奉る。今日よりは、我が思ふに替はらず、哀れに思ふべき也。只一人侍る娘なれば、其の志の程を押量り給ふべし」とて、返入たれば、僧、云ふ甲斐無て、近付きぬ。
此て、夫妻として月日を過すに、楽き事物に似ず。衣は思に随て着す。食物は無物無く食すれば、有しにも似ず、引替たる様に太りたり。髪も髻に取らるる許に生ぬれば、引結上て烏帽子したる形、糸清気也。娘も、此の夫を極く去難く思たり。夫も、女の志しの哀なるに合せて、我も労(らうた)く思えければ、夜昼起臥し明し暮す程に、墓無て、八月許なも□□。
而る間、其の程より、此の妻の気色替て、極じく物思たる姿也。家主は、前々よりも労(いたづ)く増て、「男は宍付き肥たるこそ吉れ。太り給へ」と云て、日に何度とも無く物を食すれば、食肥るに随て、此の妻はさめざめと泣時も有り。夫、此れを怪び思て、妻に、「何事を思ひ給ふぞ。心得ぬ事也」と云へども、妻、「只、物の心細く思ゆる也」と云て、其れに付ても泣増(なきまさ)れば、夫、心も得で、怪しけれども人に問ふべき事ならねば、然て過る程に、客人来て、家主に会いたり。
互いに物語為(する)を和(やは)ら立ち聞けば、客人の云く、「賢く、思ひ懸ぬ人を得給て、娘の平かに御さむずるこそ、何に喜く思すらむ」など云へば、家主、「其の事に侍り。此の人を得ざらましかば、近来何なる心侍らまし。只今までは、求得たる方侍らねば、明年の近来何なる心せむずらむ」とて、後に出て去ぬれば、家主、返り入ままに、「物参らせつや。吉く食(くはせ)よ」など云て、食物ども遣(おこ)せたれば、此れを食に付ても、「妻の思ひ歎泣く、心得ず。客人の云つる事も何なる事にか」と、怖しく思れば、妻に掍問(をこづりとへ)ども、「物云はばや」とは思たる気色乍ら、云ふ事も無し。
而る間、此の郷の人々、事急ぐ気にて、家毎に饗膳など調へ喤(ののし)る。妻、泣思たる様、日に副て増れば、夫、妻に「泣み咲み、極き事有とも、我によも隔給はじとこそ思つるに、此く隔けるこそ㑋(つれな)けれ」とて、恨み泣ければ、妻も打泣て、「争か申さじとは思はむずる。然ども、見聞えむずる事の、今幾(いくばく)も有まじければ、此く睦まじく成けむ事の悔き也」と云(いひ)も遣らず泣けば、夫、「我が死ぬべき事の侍るか。其れは人の遂に免がれぬ道なれば、苦かるべき事にも非ず。只其より外の事は、何事か有む。只宣へ」と責云ければ、妻、泣々く云く、「此の国には、糸ゆゆしき事の有也。此の国に験じ給ふ神の御するが、人を生贄に食也。其(そこ)御し着たりし時、『我も得む、我も得む』と愁へ喤しは、此の料にせむとて云し也。年々一人の人を、廻り合つつ生贄を出すに、其の生贄を求め得ぬ時には、悲しと思ふ子なれども、其れを生贄に出す也。其御せざりましかば、此の身こそは出て、神に食はれましと思へば、只、我れ替て出なむと思ふ也」と云ひ泣ば、夫、「其をば何に歎き給ふ。糸安き事ななり。然て、生贄をば、人造て神には備ふるか」と問へば、妻、「然には非ず。生贄をば裸に成て、俎の上に直(ただし)く臥て、瑞籬の内に掻入て、人は皆去ぬれば、神の造て食となむ聞く。痩て弊(わろ)き生贄を出しつれば、神の荒て、作物も吉からず、人も病み、郷も静ならずとて、此(かく)何度と無く物も食せて食ひ太らせむと為也」といへば、夫、月来労つる事共、皆心得て、「然て、此の生贄を食らむ神は何なる体にて御するぞ」と問へば、妻、「猿の形に御すとなむ聞く」と答れば、夫、妻に語ふ様、「我に金吉からむ刀を求て得さしめてむや」と。妻、「事にも非ず」と云て、刀一つを構て取せてけり。夫、其の刀を得て、返々す鋭(とぎ)て、隠して持たりけり。過ぬる方よりは、勇み寵(ほこり)て、物も吉く食太りたりければ、家主も喜び、聞継者も、「郷吉かるべきなめり」と云て、喜びけり。
此て、前七日を兼て、此の家、注連(しめ)を引つ。此の男にも精進潔斎せさす。家々にも注連を引き、慎しみ合たり。此の妻は、「今何日ぞ」と計(かぞ)へて泣入たるを、夫、云噯(いひなぐさめ)つつ、事にも思はぬをぞ、妻、少し噯ける。
此て、其の日に成ぬれば、此の男に沐浴せさせ、装束直くさせて、髪削らせて、鬢直く掻疏ひ、傅立る間に、使、何度とも無く来つつ、「遅し遅し」と責れば、男は舅と共に馬に乗りて行ぬ。妻は物も云はずして、引被(ひきかづき)て泣臥たり。
男、行着きて見れば、山の中に大きなる宝倉有り。瑞籬事々しく広く垣籠たり。其の前に、饗膳多く居へて、人共員知らず着並たり。此の男は、中に座高くして食はす。人共、皆物食ひ酒呑みなどして、舞楽(まひあそ)び畢て後、此の男を呼立て、裸に成し、結を放(はなた)せて、「努々動かずして物云ふな」と教へて含て、俎の上に臥て、俎の四の角に榊を立て、注連・木綿(ゆふ)を懸け集て、掻て前を追て、瑞籬の内に掻居へて、瑞籬の戸を引閉て、人一人も無く返ぬ。此の男は、足を指延たる胯の中に、此の隠して持たる刀を、然気(さりげ)無て、夾みて持たりける。
而る間、一の宝倉と云ふ宝倉の戸、すずろにきと鳴て開けば、其にぞ少し頭の毛太りて、むくつけく思ける。其の後、次々の宝倉の戸共、次第に開渡しつ。其の時に、大きさ人許の猿、宝倉の喬(わき)の方より出来て、一の宝倉に向てかがめば、一の宝倉の簾を掻開て出る者有り。見れば、此れも同じ猿の、歯は銀を貫たる様なる、今少し大きに器量(いかめし)き、歩出たり。「此れも早う猿也けり」と見て、心安く成ぬ。
此様にしつつ、宝倉より次第に猿出居て、着並て後、彼の初めの宝倉の喬より出来たりつる猿、一の宝倉の猿に向居たれば、一の宝倉の猿、かがめき云に随て、此の猿、生贄の方様に歩び寄来て、置たる魚箸(まなばし)・刀を取て、生贄に向て切むと為程に、此の生贄の男、胯に夾たる刀を取ままに、俄に起走て、一の宝倉の猿に懸れば、猿、周(あわて)て仰様(のけざま)に倒たるに、男、やがて起さずして、押懸りて、踏へて、刀をば未だ指宛てで、「己や、神」と云へば、猿、手を摺る。異猿共、此れを見て、一つも無く逃げ去て、木に走り登りて、かがめき合たり。
其の時に男、傍らに葛の有けるを引断て、此の猿を縛て、柱に結付て、刀を腹に指宛て云く、「己は猿にこそは有けれ。神と云ふ虚名乗をして、年々人を噉はむは、極き事には非ずや。其の二三の御子と云つる猿、慥に召出せ。然らずば突殺てむ。神ならば、よも刀も立じや。腹に突立て試む」と云て、塵許捿(くじ)る様にするに、猿、叫て手を摺に、男、「然らば、二三の御子と云ふ猿、疾(とく)召出せ」と云ば、其れに随てかがめけば、二三の御子と云ふ猿、出来たり。「亦、我を切むとしつる猿、召せ」といへば、亦かがめけば、其の猿、出来ぬ。其の猿を以て、葛を折に遣て、二三の御子を縛て結付つ。亦、其の猿をも縛て、「己れ、我を切むとしつれども、此く随はば命をば断たじ。今日より後、案内も知ぬ人の為に、祟を成し吉からぬ事をも至さば、其の時になむ、しや命は断てむと為」と云て、瑞籬の内より、皆引出して、木の本に結付つ。
然て、人の食物共したる火の、残て有けるを取て、宝倉共に次第に付渡せば、此の社より郷の家村は遠く去たれば、此く為事共も否知らず有けるに、社の方に火の高く燃上たりけるを見て、郷の者共、「此は何なる事ぞ」と怪び騒けれども、本より此の祭して後三日が程は、家の門をも閉籠て、人一人も外に出る事無りければ、騒ぎ迷(まど)ひ乍ら、出て見る人も無し。
此の生贄を出しつる家主は、「我が生贄の何なる事の有にか」と静心無く、怖しく思ひ居たり。此の生贄の妻は、「我が男の刀乞取て隠して持たりつる、怪かりつる合せて、此く火の出来たるは、彼が為態ならむ」と思て、怖しくも不審(おぼつかな)くも思ふ程に、此の生贄の男、此の猿四を縛て前に追立て、裸なる者の髻放たるが、葛を帯にして、刀を指て、杖を突て、郷に来て、家々の門を臨(のぞき)つつ見れば、郷の家々の人、此れを見て、「彼の生贄の、御子達を縛て、前に追立て来るは、何なる事ぞ。此れは神にも増たりける人を生贄に出したりけるにこそ有けれ。神をだに此(かく)す。増て、我等をば噉やせむずらむ」と恐ぢ迷ひけり。
而る間、生贄、舅の家に行て、「門を開よ」と叫けれども、音も為ぬを、「只開よ。よも悪事有らじ。開けねば、中々悪き事有なむ」と、「疾く開よ」と、門を踏立れば、舅、出来て、娘を呼出して、「此れは極き神にも増たりける人にこそ有けれ。若し、我が子をば悪とや思ふらむ。和君、門を開て、云ひ誘(こしら)へよ」と云へば、妻、怖し乍ら、喜しく思て、門を細目に開たれば、押開るに、妻立れば、疾く入て、「其の装束取て得させよ」と云へば、妻、即ち返入て、狩衣・袴・烏帽子など取出たれば、猿共をば家の戸の許に強く結付て、戸口にて装束して、弓・胡録の有けるを乞い出て、其れを負て、舅を呼出て云く、「此れを神と云て、年毎に人を食せける事、糸奇異(あさまし)き事也。此れは猿丸と云て、人の家にも繋て飼ば、飼はれて、人にのみ掕ぜられて有者を、案内も知らずして、此れに年来生たる人を食せつらむ事、極て愚也。己が此に侍らむ限は、此れに掕ぜらる事有まじ。只、己に任せて見給へ」と云て、猿の耳を痛く摘(つめ)ば、念じ居たる程、糸可咲し。「此の人には随ひたりける者にこそ有けれ」と見るに、憑しく成て云く、「己等は、更に此る案内も知侍らざりけり。今は、君をこそは神と仰ぎ奉て、身を任せ奉らめ。只仰のまま」と云て、手を摺ば、「去来給へ。有し大領の許へ」と云て、舅具して、猿丸共を前に追立て行て、門を叩くに、其れも開らかず。
舅(しう)と有て、「此(ここ)只開給へ。申すべき事有り。開給はずば、中々悪き事有なむ」と云ふ。怖しければ、大領出来て、恐々(おづおづ)門を開て、此の生贄を見て、土に平み居たれば、生贄、猿共を家の内に引烈(ひきつれ)て、目を嗔かして、猿に向て云く、「己が年来、神と云ふ虚名乗をして、年々一の人を食(は)み失ひける。己れ更よ」と云て、弓箭を番て射ぬれば、猿、叫て、手を摺て迷ふ。大領、此れを見て、奇異しく怖し気に思て、舅の許に寄て、「我等をもや殺し給はむずらむ。助け給へ」と云へば、舅、「只御せ。己が侍らむには、よも然る事有らじ」と云へば、憑しく思て居に、生贄、「吉々し。己が命をば断たじ。此より後、若し此の辺に見えて、人の為に悪き事をば至さば、其の時に、必ず射殺してむとするぞ」と云て、杖を以て、廿度許づつ、次第に打渡て、郷の者、皆呼び集て、彼の社に遣て、残たる屋共、皆壊集めて、火を付て焼失ひつ。猿をば四乍ら、祓負せて追放けり。片蹇(なへ)ぎつつ、山深く逃入て、其の後、敢て見えざりけり。
此の生贄の男は、其の後、其の郷の長者として、人を皆進退し仕ひて、彼の妻と棲てぞ有ける。此方にも、時々密に通ければ、語り伝たる成べし。
本は其には、馬・牛も、狗も無りけれども、「猿の、人掕1)ずるが為」とて狗の子や、「仕はむ料に」とて馬の子など、将渡して有ければ、皆、子共産にぞ有ける。
「飛騨国の傍に、此る所有」とは聞けども、信濃国の人も、美濃国の人も、行事無か也。其の人は、此方に密に通けれ共、此方の人は行事無か也。
此れを思ふに、彼の僧、其の所に迷ひ行て、生贄をも止め、我も住ける、皆前世の報にこそは有めとなむ語り伝へたるとや。