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text:k_konjaku:k_konjaku26-4

今昔物語集

巻26第4話 藤原明衡朝臣若時行女許語 第四

今昔、大学頭藤原明衡と云ふ博士有き。其の人若かりける時、然るべき所に宮仕しける女房を語ひて、忍て通けり。

其の局に入り臥さむが便無かりければ、其の傍に有ける下衆を語ひて、「其の家に女房を迎へ出て、其こに臥さむ」と云ければ、家主の男は無くて、妻の限り有けるが、「糸安き事」と云て、狭き小屋なれば、己が臥す所より外に臥すべき所も無かりければ、其の臥所を去(のき)て、女房の局の畳を取りに遣て敷て、其(そこ)にやがて寝にけり。

而るに、其の家の主の男は、「我が妻の女、他の男に窃に娶(とつ)ぐ也」と聞けるに、「其の密男(みそかを)、今夜なむ構へて合はむと為る」と告る人有ければ、「構へて其れを伺て殺む」と思て、妻には、遠き所に行て今四五日は来ぬ由を云ひ知らしめて、虚行をして伺ふ所にてぞ有ける。

其の事をも知らずして、此の明衡は来て、打解て寝たるに、夜打深更(ふけ)ての程に、此の家主の男、窃に来て立ち聞けるに、男女忍びて物云ふ気色有ければ、「然ればよ。然か聞しに合せて実也けり」と思て、和(やは)ら構へ入て伺ひ聞くに、我が寝所に当て男女臥したる気色思ぬ。

暗ければ慥には見えず。男寝引(いびき)の為る方に和ら寄て、刀を抜て、逆手に取て、腹の上と思しき所を捜得て突てむ」と思て、肱を持上げたる程に、月影の屋の上の板間より漏たりけるに、指貫の扶(くくり)長やかに物に懸たる、急(き)と見へければ、見付て。□□様、我が妻の女の許に、此様の指貫着たる人は、密男とて来ぬ者を。若し人違したらむは、極めて不便なるべき事かな」と思ける程に、極く娥(うるはし)き香の急と聞えければ、「然はこそ」と思て、手を引返して、着たりける衣を和ら捜ければ、衣も耎(やは)らかに障(さはり)ける程に、女房の急と驚て、「此に人の気色の為るは誰ぞとよ」と忍やかに云ける気色のやはらかにて、我が知る女には非りければ、「然はこそ」と思て居去ける程に、明衡も驚き、「誰ぞ」と問ふ音を聞付て、我が妻の女は、下なる所に臥して思ける様、「昼る我が夫の気色の怪くて、物へ行つるは、若し、其れが窃に来て、人違へなど為ぬるか」など思けるに、驚き騒て、「彼(あ)れは誰ぞ。盗人か」など、喤(ののし)る音、我が妻にて有れば、彼は、「我が妻には非で、異人々の臥たりけるにこそ有けれ」と思て、立去て、妻の臥したる所に行て、妻の髪を引寄て、窃に、「此れは何なる事ぞ」と問へば、妻、「然ればよ」と思て、「彼(あしこ)には上臈の『今夜許』とて、借らせ給つれば、借し奉りて、我れは此に臥たる也。希有の錯(あやまち)をすらむ」と云時に、明衡、驚て、「何事ぞ」と云ければ、「此の男、其の人也けり」と聞付けて、「己は甲斐殿の雑色、房丸と申す者に候ふ。殿の御けるを、知り給はずして、一家の君にこそ御ませ、殆(ほとほ)と極き錯をなむ、仕り候ひぬべかりし」と、「然々の事に依て、窃に伺ひ候つるに、臥所に当て、男女の気はひの聞え候つれば、『然ればよ』と思へて、構へ寄て、刀を抜て、最中を捜得て、肱を持ち上て候つる程に、月影の漏入たるに、希有に御指貫の扶を見付候て、急と思給へつる様、『己等が妻の許に密男とて、此様の指貫着たる人はよも来じ者を。人違へ仕たらむは、極かるべき事かな』と思給へてなむ、肱を引て、緩(たゆみ)候つる。極て御指貫の扶を見付て、□□奇異き錯を仕り候はむに」と云ければ、明衡、此れを聞くに、肝心緩て、奇異く思ける。

其の甲斐殿と云は、此の明衡の妹の男にて、藤原公業と云ふ人也けり。此の男は、其の人の雑色也ければ、常に明衡の許に使に来ければ、明暮見ゆる男也。実に思懸ず、指貫の扶の徳に、希有の命をこそ存したりけれ。

然れば、「人は忍ぶと云ひ乍ら、賤所(あやしのところ)などには立寄るまじき也けり」とぞ、聞く人も云ける。但し、其れも宿世の報也。死ぬまじき報の有ればこそ、賤の下臈なれども、然思ひ廻せ、死ぬべき報有ましかば、思ひ廻す事も無く突殺しなまし。然れば、諸の事皆宿報と知るべしとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku26-4.txt · 最終更新: 2014/11/21 02:51 by Satoshi Nakagawa