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text:k_konjaku:k_konjaku26-19

今昔物語集

巻26第19話 東下者宿人家値産語 第十九

今昔、東の方へ行者有けり。何れの国とは知らず、人郷を通けるに、日暮にければ、「今夜許は此の郷には宿せむ」と思て、小家の□に大きやかに造て、稔(にぎ)ははし気也けるに打寄て、馬より下て云く、「其々(そこそこ)へ罷る人の、日暮にたれば、今夜許は此の郷に宿し給てむや」と。家主立たる老しらひたる女出来て、「疾く入て宿り給へ」と云へば、喜び乍ら入て、客人(まらうど)居と思しき方に居ぬ。馬をも厩に引入れさせて、従者共も皆然べき所に居(すゑ)つれば、「喜(うれし)」と思ふ事限り無。

然る程に、夜に成ぬれば、旅籠(はたご)□て物など食て寄臥たるに、夜打深更(ふくる)程に、俄に奥の方に、騒ぐ気色聞ゆ。「何事ならむ」と思ふ程に、有つる女主出来て云く、「己が娘の侍るが、懐妊既に此の月に当りて侍つるが、『忽にやは』と思て、昼も宿し奉つる。只今、俄に其の気色の侍れば、夜には成にたり、若し只今にても産れなば、何がし給はむずる」と。宿□人の云く、「其れは何(いかで)か苦く侍らむ。己は更に然様の事忌み侍るまじ」と。女、「然ては、糸吉」と云て入ぬ。

其の後、暫く有程に、一切(あまねく)騒ぎ喤(ののしり)て、「産つるなめり」と思ふ程に、此の宿人の居たる所の傍に、戸の有より、長八尺許の者の、何とも無く怖し気なる、内より外で出て行くとて、極て怖し気なる音して、「年は八歳、□は自害1)」と云て去ぬ。「何なる者の此る事は云つるならむ」と思へども、暗ければ何とも否(え)見えず。人に此の事を語る事無して、暁に疾出ぬ。

然て、国に下て八年有て、九年と云に、返り上けるに、此の宿たりし家を思出て、「情有し所ぞかし」と思へば、「其の喜も云はむ」と思寄て、前の如く宿ぬ。有し女も、前より老て出来たり。「喜しく音信(おとづれ)給へり」と云て、物語などする次でに、宿人、「抑も、前に参りし夜、産れ給し人は、今は長じ給む。男か女か、疾く怱ぎ罷り出し程に、其の事も申さざりき」と云へば、女、打泣て「其の事に侍り。糸清気なる男子にて侍しが、去年の其の月其の日、高き木に登て、鎌を以て木の枝を切侍ける程に、木より落て、其の鎌の頭に立て死侍にき。糸哀れに□□る事也」と云ける時にぞ、宿人、「其の夜の戸より出し者の云し事は、然は、其れを鬼神などの云けるにこそ有けれ」と思ひ合て、「其の時に然々の事の有しを、何事とも否心得侍らで、『家の内の人、只云ふ事なめり』と思て、然も申さで罷にしを、然は、其の事を者の示し侍けるにこそ」と云へば、女、弥よ泣き悲けり。

然れば、人の命は、皆前世の業に依て、産るる時に定置つる事にて有けるを、人の愚にして知らずして、今始たる事の様に思歎く也けり。然れば、皆前世の報と知るべき也となむ語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「歳ノ下一本命字アリ
text/k_konjaku/k_konjaku26-19.txt · 最終更新: 2015/01/06 16:11 by Satoshi Nakagawa