今昔物語集
巻25第10話 依頼信言平貞道切人頭語 第十
今昔、源頼光朝臣の家にして、客人数(あまた)来て、酒呑み遊けるに、弟の頼信朝臣も有けり。其れに、頼光朝臣の郎等に、平貞道と云ふ兵有けり。
其の日、貞道、瓶子を取て出来たりけるに、頼信朝臣、客人共も聞くに、高やかに貞道を呼び向けて云ふ様、「駿河国に有る□□と云ふ者の、頼信が為に無礼を至す。しや頸取て得させよ」と。貞道、此れを聞て思ふ様、「我れ此の殿は此て候へり。其の御弟に御座すれば、現に一家の主也とは云へども、未だ参り仕りなどは為ず。其れに、此様の事は、我れを宗と憑む人にこそ云へ。亦、此て此の殿に候へば、其れを睦びて云ひ付けらるべくは、呼び放て、忍やかにも宣はずして、此許人の多かる中にて、人の頭取る許の事を高く宣ふべき様やは有る。嗚呼(をこ)の事をも宣ふ人かな」と思ければ、墓々しく答へも為で止にけり。
其の後、三四月許過て、要事有て、貞道、東国の方に行にけり。彼の頼信朝臣の云ひ付し事は、其の日、「由無し」と思ければ、思だに出ださで忘にけり。
而るに、貞道行ける道に、彼の頼信朝臣の云ひ付けし男合ひにけり。馬を引へて、柔(なごやか)に物語などして、今打過むと為る程に、彼の人の云ひ付けられし事をば、忍びても云はざりし事なれば、自然ら伝へ聞てけるに、今過ぎむと為る程に、此の男の云く、「然々の事や承り給ひし」と。
貞道、其の時にぞ思ひ出て「いや、然る事有り。己は兄の殿には侍れども、未だ彼の殿には参仕る事も無し。其れに、人々の数聞きしに、故も無く然る事を宣ひしかば、『可咲』と思て止侍にき。然る事思ふ人やは有る。怪しき事也かし」とて咲へば、此の男、「京より人の告げ遣(おこ)せて侍りしかば、『然様にや思すらむ』と思給て、今日なども心ときめき為られて侍つる也。『由し無し』と思す事は、糸吉く思したり。限り無き喜び申す。但し、譬ひ彼の殿の宣ふ事を去り難く思して、『此の事をせむ』と思すと云ふとも、己等許成ぬる者をば、心に任せて得為め給はむずるかは」と、頬咲(ほほえみ)て云に、貞道が思ふ様、「『我れ然も思はず』など云ふ物ならば、誤つ事も侍らざらめ。『勘当有と承はれば、恐れ思給つるに、今日よりなむ心安く喜び思給ふる』などや、情けの言に云ふべきに、目ざましくも云ふ奴かな。去来(いざ)然は同くは、此奴射殺して、頸取て、河内殿に奉らむ」と思ふ心出来て、言少に成て、「然む」とて打過ぬ。
後少し隠るる程に、貞道、郎等共に其の心を知せて、馬の腹帯結び、胡録など掻疏(かいつくろひ)て、取て返して、追ひ行けるに、浦原の隔てつつ有る程を行けるに、追ひ懸りにけり。滋き木原を過し立てて、少し広き野に打出る程に、大きに叫(わめき)て押懸れば、「然思つる事ぞ」と云て、押返しけれども、此の白物(しれもの)は、「此る事も思はず」と云ひつるを実と思けるにや有ける、乗替の馬などに乗て、行緩(あるきたゆみ)て有ければ、箭一度だに射で、逆様に射落してけり。主、射落されにければ、彼れが郎等共は、逃るは逃げ、射らるは射られて、皆去(い)にけり。
然れば、其の男の頸を取て、京に持上て、頼信朝臣に取らせたりければ、頼信朝臣、喜て、吉き馬に鞍置てぞ禄に取らせたりける。
其の後、貞道が人に会て云けるには、「平かに過て行くべかりし奴の、由無し言を一言云て、射殺されにしかば、河内殿の安らで思しける事の故也けり。哀れに忝き人の威也けり」と語ける。然れば、此れを聞く人、弥よ恐じけりとなむ語り伝へたるとや。