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text:k_konjaku:k_konjaku23-24

今昔物語集

巻23第24話 相撲人大井光遠妹強力語 第(廿四)

今昔、甲斐国に大井の光遠と云ふ左の相撲人有き。短太(ひきふと)にて、器量(いかめし)く、力強くて、微妙なりし相撲也。其れが妹に、年廿七八許にて、形ち有様美麗なる女有けり。其の妹、離れたる屋になむ住みける。

而る間、人に追はれて逃ける男の、刀を抜て、其の妹の居たる家に走り入にけり。其の妹を質に取て、刀を差宛て抱きて居けり。家の人、此れを見て、驚き騒ぎ、光遠が居たる家に走り行きて、「姫君は質に取られ給にけり」と告ければ、光遠、騒がずして云く、「其の女房をば、昔の薩摩の氏長許こそは質に取らめ。」と云て居たりければ、告たる男、「怪し」と思て、走り返りて、不審(いぶかし)さに物の迫(はざま)より睨きければ、九月許の事なれば、女房は薄綿の衣一つ許を着、片手しては口覆をして、今片手しては男の刀を抜きて差宛し肱(かひな)を、和(やは)ら捕たる様にて居たり。男、大なる刀の恐し気なるを、逆手に取て、腹の方に差宛て、足を持て後よりあくまで抱て居たり。

此の姫君、右の手して、男の刀抜て差宛たる手を、和ら捕たる様にして、左の手にて顔を塞(ふたぎ)たるを、泣々く其の手を持て、前に箭篠の荒造たるが、二三十許打散されたるを、手まさぐりに節の程を指を持て板敷に押蹉(おしにじり)ければ、朽木などの和(やはらか)ならむを押砕む様に、砕々(みしみし)と成を、「奇異(あさまし)」と見る程に、此れを質に取たる男も目を付て見る。此の睨く男も此れを見て思はく、「兄の主、うべ騒ぎ給はずは理也けり。極からむ兄の主、鉄鎚を以て打砕かばこそ、此の丈は此くは成らめ。此の姫君は何許(いかばかり)なる力にて此くは御するにか有らむ。此の質に取たる男はひしがれなむず」と見る程に、此の質に取たる男も此れを見て、益無く思へて、「譬ひ刀を以て突とも、よも突かれじ。肱取りひしがれぬべき女房の力にこそ有けれ。此許にてこそ、支体も砕かれぬべかめり。由無し。逃なむ」と思て、人目を量て棄て走り出て、飛ぶが如くに逃けるを、人、末に多く走合ひて、捕て打伏せて縛て、光遠が許に将行たれば、光遠、男に、「汝、何に思て質に取る許にては棄て逃つるぞ」と問ひければ、男の云く「為べき方の候はざりつれば、例の女の様に思て質に取奉て候つるに、大きなる箭篠の節の許を、朽木などを砕く様に、手を以て押砕き給つるを見給へつれば、奇異くて、『此許の力にては、腕折り砕かれぬ』と思給へて、逃げ候つる也」と。

光遠、此れを聞て、疪(あざ)咲て云く、「其の女房は一度によも突かれじ。突かむとせむ腕を取り、掻捻(かいねじ)りて上様に突かば、肩の骨は上に切られなまし。賢く己が肱の抜けざりき。宿世の有て、其の女房は不□ざりける也。光遠だに己をば手殺しに殺してむ物を。しや肱を取て打伏せて、腹骨を踏なむには、己は行きて有なむや。其れに女房は光遠二人許が力を持たるぞ。然こそ細やかに女めかしけれども、光遠が手戯れ為るに、取(とらへ)たる腕を強く取られぬれば、手弘ごりて、免しつべき物を。哀れ此れが男にて有ましかば、合ふ敵無くて、手なむどにてこそは有まし。口惜く女に有けるこそ」など云ふを聞くに、此の質取の男、中らは死ぬる心地す。

「『例の女ぞ』と思て、『極き質をも取たるか』など思ひ給へつるに、此く御ける人を知り奉らずになむ」と、男、泣々く云ければ、光遠、「須く己をば殺べけれども、其の女房の錯またるべくはこそ、己をば殺さめ。返て己が死ぬべかりけるが、賢く疾く逃て、命を存せるは、其れを強に殺すべきに非ず。己よ、聞け。其の女房、鹿の角の大きなるなどを膝に宛て、そこら細き肱を以て、枯木など折る様に打砕く者をぞ。増して己れをば云ふべきにも非ず」と云て、男をば追ひ逃してけり。

実に事の外の力有ける女也かしとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku23-24.txt · 最終更新: 2014/09/14 01:31 by Satoshi Nakagawa