今昔物語集
巻23第17話 尾張国女伏美濃狐語 第(十七)
今昔、聖武天皇の御代に、美濃の国の方県の郡小川の市に、極て力強き女有けり。其の形ち甚だ大き也。名をば美濃狐とぞ云ける。此れは昔、彼の国に狐を妻としたる人有けり。其れが四継の孫也けり。
其の女、力の強き人の力、百人に当りけり。然る間、此の女、彼の小川の市の内に住みて、自ら力を憑て、往還の商人を掕躒して、其の物を奪ひ取て、以て業としけり。
亦、其の時に、尾張国愛智の郡片輪の郷に、力強き女有りけり。其の形小かりけり。此れは昔し、其の国に有ける道場法師と云ける者は元興寺の僧也。其れが孫也。
其の女、彼の美濃狐が小川の市にして、人を掕躒して商人の物を奪取る由を聞て、「試む」と思て、蛤五十石の船に積みて、彼の市に□る。亦儲け調へて、船に副納めける物は、熊葛(くまつづら)の練韃(ねりむち)廿段也。既に市に至けるに、美濃狐有て、彼の蛤皆抑取て売らしめず。
然て美濃狐、尾張の女に云く、「汝ぢ何くより来れる女ぞ」と。尾張の女、答ふる事無し。美濃狐、亦重て問ふに答へず。遂に四度問ふに、尾張の女答て云く、「我れ来る方を知らず」と。美濃狐、此の言を「便無し」と思て、尾張の女を罸(うた)むとして立ち寄るに、尾張の女、美濃狐が罸むと為る其の二の手を持捕へて、此の熊葛の韃を一つ□て返々す罸つに、其の韃に肉(しし)付たり。亦、韃一つを取て罸つに、韃に肉付たり。十段の韃を罸つに随て、皆肉付たり。
其の時に美濃狐申さく、「理也。我れ大きに犯せり。怖るる所也」と。尾張の女の云く、「汝ぢ此より後に、永く此の市に住て、人を悩ます事を止めよ。若し用ゐずして尚住まば、我れ遂に来て、汝を罸殺べし」と云て、本国に返にけり。
其の後、美濃狐、其の市に行かずして、人の物を奪取らず。然れば、市人、皆喜びなして平かに交易して、世を継て絶えず、亦尾張の女美濃狐に力増(まさ)れる事を皆人知にけりとなむ語り伝へたるとや。