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text:k_konjaku:k_konjaku20-23

今昔物語集

巻20第23話 比叡山横川僧受小蛇身語 第廿三

今昔、比叡の山の横川に僧有けり。道心発して、年来阿弥陀の念仏を唱へて、偏に「極楽に生れむ」と願ひけり。法文の道にも智り有けれども、只偏に極楽をのみ願ひて、更に外の思無かりけり。然れば、他の聖人達も、「此れは必ず極楽に生るべき人也」と、皆貴く思ひたりけり。

而る間、此の聖人、此の思ひ怠らずして、漸く年積て、七十に余る程に、身強かりきと云へども、動(ややも)すれば、風発がちにして、食物なども衰へて、力も弱く成り持行く程に、聖人、「死期の近く成ぬる也けり」と思ひ取て、弥よ道心深く染むで、念仏を唱ふる事、員副て緩(たゆ)み無し。

而る間、態と病に成にければ、臥し乍ら、切(しき)りに切て、念仏を唱ふ。弟子共にも、「今は偏に念仏を勧めて、他の事無く云ひ聞かしめよ」と教れば、弟子共、貴き事共を云て、念仏を勧むる事隙無し。

此くて、九月の中の十日の程に、申時許に、心弱く思えければ、枕上に阿弥陀仏を安置して、其の御手に五色の糸を付奉て、其れを引へて、念仏を唱ふる事四五十遍許して、寝入るが如くして絶入りぬ。然れば、弟子共、「年来の本意違はず、極楽に参りぬ」と貴がり喜て、没後の事皆畢て、七々日も過ぬれば、弟子共、皆散々に去きぬ。

而るに、一人の弟子、其の坊1)を伝へて住けるに、師の聖人の常に酢入れて置たりける、白地の小瓶の有けるが、壺屋の棚に有けるを、房主見付て、「故聖人の持給へりし酢瓶は此にこそ有けれ。失にけるかと思ひつるに」と云て、取出て顕はしめむと為る程に、瓶の内に動く者有り。臨(のぞき)て見れば、五寸許なる小蛇、蟠て有り。恐て、離れたる方の、間木の上に捧て置つ。

其の夜の坊主の夢に、故聖人来て、告て云く、「我れは、汝達の見し様に、偏に極楽を願て、念仏を唱ふるより外に、他の事無かりき。死ぬる尅に臨て、『他の念無く、念仏を唱へて絶入らむ』と思ひし程に、棚の上に酢2)の瓶の有しを、不意(そぞろ)に目に見付て、『此れを誰取らむと為らむ」と許、口には念仏を唱へ乍ら、心に只一度思ひしに、其れを罪とも思はずして、『悪く思ひけり』とも思ひ返さずして、絶入にき。其の罪に依て、此の瓶の内に、小蛇の身を受て有る也。速に、此の瓶を以て、誦経に行へ。又、懃に我が為に仏経を供養すべし。然らば、極楽に生まるべし」と云て失ぬと見て、夢覚ぬ。

其の後、「然は、此の小瓶の内に有つる小蛇は、故聖人にて御けるにこそ有けれ」と思ふに、極て悲くて、明る朝に、夢の告の如く、小瓶を中堂に誦経に奉りつ。又、忽に仏経を儲て、懃に供養し奉けり。

此れを思ふに、然許貴く思ひ取て絶入る聖人そら、最後に由無き物に目を見入て、小蛇の身を受たり。何に況や、妻子の中にして死なむ人、譬ひ心を発すと云ふとも、□□3)の縁に非ずば、極楽に参らむ事は難かりなむと思ふが、悲き也。然れば、「死なむ時には、墓無き物をば取隠して、仏より他の物をば見るべからず」とぞ、横川の源信僧都は語り給ひけるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「坊一本房ニ作ル下同ジ」
2)
底本頭注「酢ノ上一本此ノノ二字アリ」
3)
底本頭注「云フトモノ下一本オボロゲノ四字アリ」
text/k_konjaku/k_konjaku20-23.txt · 最終更新: 2016/03/13 15:41 by Satoshi Nakagawa