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text:k_konjaku:k_konjaku2-20

今昔物語集

巻2第20話 薄拘羅得善根語 第(二十)

今昔、天竺に仏1)の弟子に、薄拘羅尊者と云ふ人有けり。

其の過去の九十一劫の時、毗婆尸仏の涅槃に入給て後、一人の比丘有けり。常に頭を痛む。薄拘羅、其の時に、貧しき人として、彼の比丘を見て、哀て一の呵梨勒果を与ふ。比丘、此れを服して、頭の病愈(いえ)ぬ。

薄拘羅、病比丘に薬を施せるに依て、其の後九十一劫の間、天上人中に生れて、福を得、楽を受て、身に病有る事無し。

最後の身に、婆羅門の子と生れたり。其の母死て、父、更に妻を嫁げり。薄拘羅、年幼くして、継母の餅を作れるを見て、此れを乞ふ。継母、悪2)むで、薄拘羅を取て、𨫼(なべ)の上に擲(なげ)置く。𨫼、焼燋(やけこげ)たりと云へども、薄拘羅が身は焼る事無し。其の時に、父、外より来て、薄拘羅を見るに、熱𨫼の上に有り。父、此れを見て、驚て、抱き下しつ。

其の後、継母、弥よ瞋恚を増て、釜の煮たる中に薄拘羅を投入するるに、薄拘羅が身、焼け爛るる事無し。其の時に、父、薄拘羅が見えざるを怪で、求るに見えねば、此れを喚ぶに、釜の中にして答ふ。父、此れを見て、速(いそぎ)て抱き出しつ。薄拘羅が身、平復する事、本の如し。

其の後、亦、継母、大きに嗔て、深き河の辺に、薄拘羅と共に行て、薄拘羅を河の中に突入れつ。其の時に、河の底に大なる魚有て、即ち薄拘羅を呑つ。薄拘羅、福の縁有るが故に、魚の腹の中にして、猶死なず。其の時に、魚捕る人有て、此の河に臨て、魚を釣る間に、此の魚を釣得たり。「大なる魚、釣得たり」と喜て、即ち市に持行て売るに、買う人無して、暮に至て、魚臭(くさり)なむとす。

其の時に、薄拘羅が父、来会て、此の魚を見て買取て、妻の家に持行て、刀を以て腹を破らむと為るに、魚の中に声有り。「願くは、父、我れを害する事無かれ」と。父、此れを聞て、驚て、魚の腹を開き見るに、薄拘羅有り。抱て出しつ。身に損無し。

其の後、漸く長大して、仏の御許に詣でて、出家して、羅漢果を得て、三明六通を具せり。御弟子と成り、年百六十に至るに、身に病有る事無し。此れ、皆前生に薬を施たる故也とぞ、仏、説き給けるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
2)
「にく」底本異体字。りっしんべんに惡
text/k_konjaku/k_konjaku2-20.txt · 最終更新: 2016/05/28 17:21 by Satoshi Nakagawa