今昔物語集
巻19第3話 内記慶滋保胤出家語 第三
今昔、□□天皇1)の御代に、内記慶滋の保胤と云ふ者有けり。実には陰陽師加茂の忠行2)が子也。而るに、□□と云ふ博士の養子と成て、姓を改て慶滋とす。心に慈悲有て、身の才並び無し。
然れば、若より公に仕て、博士として有ける間に、年漸く積て、道心発にければ、□□と云ふ所にして、髻を切りて法師と成ぬ。名を□□□3)云ふ。世に内記の聖人と云ふ此れ也。
出家の後は、空也聖人の弟子と成て、偏に貴き聖人と成て有ける間、本より心に智有て、「功徳の中に何事か勝れたる事」と思ひ廻けるに、「仏を顕し奉り、堂造くるこそ、極たる功徳なれ」と思ひ得て、先づ堂を造らむと為るに、我が力及ばずして、「知識を曳てこそ、此の願をば遂め」と思て、諸の所に行て、此の事を云ければ、物を加ふる人共有れば、少々の物共出来にけり。此れを以て材木を儲けむと為るに、播磨の国に行て、「知識を曳きて材木を取らしめむ」と思ひて、播磨の国に行ぬ。其の国にして、知識を曳ければ、国の者共靡て、物を加へける。
此の如くして行ける間に、川原の有る所に至にけり。見れば、川原に法師陰陽師の有て、紙冠をして、祓(はらひ)をす。□□、此れを見て、馬より怱ぎ下て、陰陽師の許に寄て云く、「此れは何態し給ふ御房ぞ」と。陰陽師、答て云く、「祓し侍る也」と。□□云く、「然なるぞ。但し、其の紙冠は何の料ぞ」と。陰陽師の云く、「祓殿の神達は、法師をば忌給へば、祓の程(ほ)ど、暫く紙冠をして侍る也」と。□□、此れを聞て、音を放て大きに叫て、陰陽師に取り懸れば、陰陽師、心も得ずして、手を捧て、祓をも為ずして、「何(いか)に、何に」と云ふ。亦、祓せさする人、□れて居たり。
□□、陰陽師の紙冠りを取て、引き破りて棄て、泣々く云く、「汝は何で仏の御弟子と成て後に、『祓殿の神、苦しび給』と云て、如来の禁戒を破て、紙冠をば為るぞ。無間地獄の業を造には非ずや。悲き事也。只、我れを殺せ」と云て、陰陽師の袖を引へて、泣く事限無し。
陰陽師の云く、「此れ、糸物狂はしき事也。此くな泣き給ひそ。宣ふ事は極たる理りに侍り。然れども、世を過(すごさ)む事の有難ければ、陰陽の道を習て、此くし侍る也。然らずしては、何態をしてか、妻子をも養ひ、我が命をも助け侍らむ。道心無ければ、身を棄たる聖人にも成り難し。和纔(さす)がに法師の姿にて侍れども、只俗の様に侍る身なれば、『後の世の事、何をかは為べきはかむ4)』と悲しく思ゆる時も侍れども、世の習ひとて此く仕る也」と。□□云く、「然りと云ふとも、何でか三世の諸仏の御首には、紙冠をば為む。貧さに堪へずして此くし給はば、我が此の知識に曳て集たる物共を、皆其(そこ)に進(たてまつり)なむ。一人の菩提を勧むる功徳とても、塔・寺造たらむ功徳に劣るべきに非ず」と云て、我れは川原に居乍ら、弟子共を遣て、知識の物共を皆取り寄せて、此の陰陽師の法師に揮(はら)ひ与へて、□□は京に上にけり。
其の後、東山に、如意と云ふ所に住けるに、六条院に「只今参れ」と召ければ、知たる人の馬を借て、其れに乗て、早朝より参る。例の人は、馬に乗ては掻き□□て行けばこそ、此の□□は、只馬の心に任せて行ければ、馬は留りて草食らへば、其れに随て、無期に立てり。然れば、行きも遣らずして、同じ所に日を暮せば、馬に付たる舎人の男は、糸六借(むづかし)く思て、馬の尻を打てば、其の時に、□□、馬より踊り下て、舎人の男に取り懸りて云く、「汝は何に思て、此る態をば為るぞ。此の老法師の乗り進れば、蔑(あなづ)りて此くは打ち進るか。此れは、前の世より、絡(く)返し絡返し父母と成り在す馬には非ずや。汝ぢ、当時の父母には非ずと思て、此く蔑り進るか。汝にも、絡返し父母と成て、汝を悲びしに依て、此く獣と成り、亦、若干の地獄・餓鬼の道にも堕て、苦を受るには非ずや。此く、獣に成るに、子を愛し悲びしに依て、此る身をも受たる也。極めて堪へ難くて、物の欲く坐すれば、青き草葉の食吉気(くひよげ)に生たるを見過し難くして、揃(むし)り給はむと為るを、何で忝く打ち進るぞ。又、此の老法師の父母ども、員も知らず成り給へるは、忝く思ひ進れども、年の老て、起居、心にも叶はず、少し遠き道は速かに歩むべくも非ねば、恐れ乍ら乗り進たるにこそ有れ。何で、道に草の有る食給はむを、妨げ進て、掻き□□ては行くべきぞ。極めて慈悲無かりける男かな」と云て、音を放て叫ぶ。
舎人の男の心の内に、「可咲」と思れども、泣くが糸惜ければ、答て云く、「宣ふ所、極たる理に候ふ。物に狂ひて打ち進り候けり。下郎の方無き事は、此く生れ給ひたれば、其の由も知らずして、打ち進る也。今よりは、父母と憑み進て、忝く思ひ進らむ」と。然れば、□□、泣き噎び(むせび)をしつつ、「穴貴々々」と云て、只乗ぬ。
然て行く程に、道の辺に朽たる卒堵婆の喎(ゆがみ)たる有り。此れを見付て、手迷(てまどひ)をして、丸び下ぬ。舎人男、心得ずして、怱ぎ寄て、馬の口を取る。馬より下りて、馬を前きに引かせて留ぬ。舎人男こ、馬を留めて、見返て見れば、薄村の少し5)所に、□□平がり居ぬ。袴の扶(くくり)を下して、童に持せたる袈裟を取て着つ。衣の頸びを引き立て左右の袖を掻き合せて、二重に屈(かがまり)て、率堵婆の方をすが目に見遣つつ、御随身の翔(ふるまへ)る様に翔て渡たて、率堵婆の前に至りて、率堵婆に向て手を合せて、額を土に付て、度々礼拝して、屈り翔ふ事微妙(いみ)じ。然して、率堵婆隠てぞ、馬には乗ける。
此の如く、率堵婆を見る毎に為れば、一道下り乗り為る程に、時中に行くべき道を、卯の時より申の時の下る程にぞ、六条の院の宮に着たりける。此の舎人男、「此の聖人の御共には、今より参らじ。心もと無かりけり」となむ云ける。
亦、石蔵(いはくら)と云ふ所に住ける時きに、冷(すず)み過して、腹解にけり。厠に行きぬる間だ、隣の房に有ける法師の、聞けば、厠に居たりける音は、楾(はんざふ)の水を沃泛6)(そそぎこぼ)す様也。年老たる人の此く為れば、「極めて糸惜」と思ふ程に、聖人物を云へば、「只人の有か」と思て、和ら壁の穴より臨(のぞ)けば、老たる犬、一つ向居たり。聖人の立を待なるべし。其れに向て云ふ也けり。
其の言を聞けば、「前の世に、人の為めに後(うしろ)めた無き心を仕ひ、人に穢き物を食はしめ、破(わり)無き物を貪り、我が身を止事無く持成し、人を落しめ、父母の為に不孝に当り、此の如く諸の悪き心を仕ひて、善き心を仕はざりしに依て、此く獣の身を受て、弊(つたな)く穢き物を要して、伺ひ給ふ也。我が父母と絡返し成り坐たる身に、此る不浄の物を食はしめ進てむ、極めて忝き事也。就中に、近来、乱り風を引て、水の如くなる物を仕たれば、更に食ふべき様も無し。糸口惜く思ひ進る。然れば、明日、美物(うまきもの)を備て、食はしめむ。其れを、心の欲(ほしき)ままに食し給ふべし」と云つつ、目より涙を流して、泣々く云ひ居たり。其の後、立ぬ。
明る日、聖人の昨日(きの)ふ云ひし犬の備へは何(いかに)為ると、人に此の事を語らずして見れば、聖人、「犬の御儲為さむ」と云ひて、飯を多く土器に盛らしむ。菜三四許調て、庭に筵を敷て、其の上へに此の饌を居へて、聖人は其の前に下居て、「食物備たり。早く御せ」と、音挙て云ひ居たり。其の時に、彼の犬来て、飯を食ふ。
而る間、聖人、手を摺て、「喜(うれし)くも、甲斐有て、食す物かな」と云て泣く程に、喬(わき)より若き犬の長け高き出来て、先づ飯をば食はずして、本の老犬をば掻き丸(まろ)ばして、散らしかく7)。
其の時に、聖人、手迷(てまどひ)して立て、「此く濫がはしくて、な御しそ。其の御料も儲け侍らむ。先づ、只、中吉くて食し給へ。此く、非道の御心の有れば、弊き獣の身を受け在すぞかし」と云て障ふるに、敢て聞むやは。飯をも皆泥形に踏み成して、噉(くひ)しらがふ音を聞て、他の犬共集り来て、噉ひ合ひ喤(ののしり)ければ、聖人、「此る御心共をば、見ぬは吉事」と云て、逃て、板敷に上にけり。隣の房の法師、此れを見て咲ひけり。智(さと)り有る人也と云へども、犬の心を知らずして、前生の事を思ひて敬ふに、犬知なむと8)。
内記の聖人と云て、知り深く、道心盛りにして、止事無かりけりとなむ語り伝へたるとや。