今昔物語集
巻19第17話 村上天皇御子大斎院出家語 第十七
今昔、大斎院1)と申すは、村上の天皇の御子に御ます。円融院天皇2)は御兄に御せば、其の御時に斎院には立せ給へる也。其の後、斎院にて御ます間、世に微妙く、可咲くてのみ御ませば、上達部・殿上人、絶えず参れば、院の人共も緩(たゆ)む事無く打ち解けずしてのみ有れば、「斎院許の所無し」となむ、世の人、皆云ひける。
而る間、漸く世も末に成り、宮の御年も老に臨ませ給ひにたれば、今は殊に参る人も無し。然れば、院の有様も、参る人も無ければ、打ち解けず。亦、若かりし人も、皆老ひたれば、心悪3)がりて、参る人も無きに、後の一条の院の天皇4)の御代の末の程に、心有ける殿上人、四五人許、西の雲林院の不断の念仏は九月の中の十日の程の事なれば、其の念仏の終の夜、月の艶(えもいは)ず明かりけるに、念仏を礼むが為に、此の殿上人共、雲林院に行て、丑の刻許に返けるに、斎院の東の門の細目に開たりければ、近来の殿上人・蔵人は斎院の内を墓々しくも見えねば、「此る次に、院の内、窃に見む」と云て入ぬ。
夜深更ぬれば、人影も為ず、東の屏の戸より入て、東の対の北面の檐に密に居て見れば、御前の前栽、心に任せて高く生ひ繁たり。「疏(つくろ)ふ人も無きにや有らむ」と、哀れに見ゆ。露は月の光に照らされて、□5)き渡たり。虫の音は様々に聞ゆ。遣水の音□やかに流れたり。
其の程、露人の音無し。船岳下(おろし)の風、氷(ひや)やかに吹ければ、御前への御簾の少し打ち動くに付て、薫(たきもの)の香、艶ず馥く氷やかに匂ひ出たるを聞くに、御隔子(みかうし)は下げたらむに、此く薫の匂の花やかに聞ゆれば、「何なるにか有らむ」と思て、見遣れば、風に吹かれて、御几帳の裾ぞ少し見ゆ。「早う、御隔子も下されで有ける也けり。月など御覧ずとて、下されざりけるにや有らむ」と思ふ程に、奥深かに、箏の音、少し許聞ゆ。律に立たれて、平調の音なり。髴(ほのか)に聞けば、掻合せ楽、一つ許有り。此れを聞くに、微妙き事限無し。
箏の音、為ずに成ぬれば、今は内に返り参なむと為る程に、一人の云く、「此く、微妙く可咲き御有様を、人も聞けりと思食さむに、女房に知らしめばや」と云へば、「現に、然も有る事也」とて、寝殿の丑寅の角の戸の間は、人参て女房に会ふ所也。住吉の姫君の物語り書たる障紙立てられたる所也。其に、人、二人許歩み寄て、気色ばめば、兼てより女房二人許居たりけり。殿上人も、此の女房有らむとも知らぬに、女房居たれば、思ひも懸けず思ゆ。女房、二人許□□より物語して、「月の明かりければ、居明さむ」と思て居たりけるに、此の思ひも懸ぬ人々の参たれば、極じく哀れに思ひたる気色有り。院も聞し食して、昔し思し食し出て、哀れに思し食しけむかし。
昔の殿上人は、常に参て、可咲き御遊びなども常に有ければ、御箏・御琵琶など常に弾きなどしつつ遊けるに、今は絶て然る事も無ければ、参る人も無し。適ま参ると云へども、然の如きの遊びする人も無きぞ、口惜く思食けるに、今夜は月の明ければ、昔を思し食し出て、哀れに思し食して、御物語などせさせ給て、御不寝(おほとのごもりせ)ざりけるに、夜の痛く深更ぬれば、物語申す人共も、御前にうたた寝にけり。院は、御目の醒させ給ひければ、御箏を手扣(てまさぐり)に遊ばしける程に、此く人々の参たりければ、昔めきて、哀れになむ思し食しける。
「此の参たる人々は、此の様の事、少し許為(す)なり」と聞し食けるにや、御簾の内より、御箏・琵琶など出させ給へりければ、態とは無けれども、弾合せて、楽一つ二つ許弾く程に、夜も明け方に成れば、内に返り参ぬ。殿上にて、哀れに面白かりける由を語ければ、参らぬ人々は、口惜き事になむ思ける。
其の後、其の年十一月に、忍て斎院を出させ給て、□□と室町と云なる所に御まして、其より三井寺の慶祚阿闍梨の房に御まして、御髪を下して、尼に成せ給ひにけり。其の後は、道心を発して、偏に弥陀の念仏を唱へて、終り極て貴くしてなむ、失させ給ひにけり。
「現世も微妙く可咲しくして過させ給ひにしかば、後生は罪深くや御しまさむずらむ」と、皆思ひけるに、御行ひ緩む事無く貴くして、「現に極楽に往生し給ひぬらむ」とて、入道の中将6)も、最後に参り会て、喜び貴ばれけるとなむ、語り伝へたるとや。