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text:k_konjaku:k_konjaku16-4

今昔物語集

巻16第4話 丹後国成合観音霊験語 第四

今昔、丹後国に成合と云ふ山寺有り。観音の験じ給ふ所也。

其の寺を成合と云ふ故を尋ぬれば、昔し、仏道を修行する貧き僧有て、其の寺に籠て行ける間に、其の寺、高き山にして、其の国の中にも、雪高く降り風嶮(けはし)く吹く。而るに、冬の間にて、雪高く降りて、人通はず。

而る間、此の僧、粮絶て日来を経るに、物を食はずして死ぬべし。雪高くして、里に出でて乞食するにも能はず。亦、草木の食ふべきも無し。暫1)くこそ念じても居たれ、既に十日許にも成ぬれば、力無くして、起上るべき心地せず。

然れば、堂の辰巳の角に、䒾(みの)の破たる敷きて臥たり。力無ければ、木を拾て火をも焼かず。寺、破損して、風も留まらず。雪風嶮くして、極く怖ろし。力無して、経をも読まず。仏をも念ぜず。「只今過なば、遂に食物出来べし」と思はねば、心細き事限無し。今は死なむ事を期して、「此の寺の観音を助給へ」と念じて申さく、「只一度、観音の御名を唱ふるそら、諸の願を満給なり。我れ、年来観音を憑み奉て、仏前にして餓死なむ事こそ悲しけれ。高き官位を求め、重き財宝を願はばこそ難からめ。只、今日食して、命を生く許の物を施し給へ」と念ずる間に、寺の戌亥の角の破たるより見出せば、狼に噉はれたる猪有り。「此れは観音の与へ給ふなめり。食してむ」と思へども、年来仏を憑み奉て、今更に何でか此れを食せむ。聞けば、「生有る者は、皆前生の父母也」と。我れ、食に飢へて死なむと□□□□□□2)肉村屠ふり食はむ。況や、生類の肉を食ふ人は、仏の種を断て、悪道に堕つる道也。然れば、諸の獣は、人を見ては逃去る。此れを食する人をば、仏も菩薩も遠去り給ふ事なれば、返々す思ひ返せども、人の心の拙き事は、後世の苦びを思はずして、今日の飢への苦びに堪へずして、釼を抜て、猪の左右の腂(もも)の肉を屠り取て、鍋に入て煮て食しつ。其の味、甘き事並無し。飢の心皆止て、楽き事限無し。

然れども、重罪を犯しつる事を泣き悲て居たる程に、雪も漸く消ぬれば、里の人、多く来る音を聞く。其の人の云く、「此の寺に籠たりし僧は何が成りにけむ。雪高して、人通たる跡も無し。日来に成ぬれば、今は食物も失にけむ。人気も無きは、死にけるか」と口々に云ふを僧聞て、先づ、「此の猪を煮噉たるを、何で取り隠さむ」と思ふと云へども、程無して為べき方無し。未だ食ひ残したるも鍋に有り。此れを思ふに、極て恥ぢ悲び思ふ。

而る間、人々、皆入り来ぬ。人々、「何にしてか日来過しつる」など云て、寺を廻ぐり見るに、鍋に檜の木を切り入れて、煮て食ひ散したり。人々、此れを見て云く、「聖り、食に飢たりと云ひ乍ら、何なる人か木をば煮食ふ」と云て哀れがる程に、此の人々、仏を見奉れば、仏の左右の御腂を断切り取たり。「此れは僧の切り食ひたる也けり」と奇異(あさまし)く思て云く、「聖り、同じ木を食ならば、寺の柱をも切食はむ。何ぞ仏の御身を壊り奉る」と云ふに、僧、驚て仏を見奉るに、人々の云ふが如く、左右の御腂を切り取たり。其の時に思はく、「然らば、彼の煮て食つる猪は、観音の我を助けむが為に、猪に成り給ひけるにこそ有けれ」と思ふに、貴く悲くて、人々に向て、事の有様を語れば、此れを聞く者、皆涙を流して悲び貴ぶ事限無し。

其の時に、仏前にして、観音に向ひ奉て、白して言さく、「若し、此の事、観音の示し給ふ所ならば、本の如くに、□□□申す時に、皆人見る前へに、其の左右の腂、本の如く成□□□□。人、皆涙を流して□泣悲ずと云ふ□□□□□□□、此の寺を成合と云ふ也けり。

其の観音、于今在す。「心有らむ人は、必ず詣でて礼奉るべき也」となむ語り伝へたるとや。

1)
底本異体字「蹔」
2)
底本頭注「死ナムトノ下一本モ父母ノノ四字アリ」
text/k_konjaku/k_konjaku16-4.txt · 最終更新: 2015/11/18 23:29 by Satoshi Nakagawa