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text:k_konjaku:k_konjaku16-35

今昔物語集

巻16第35話 筑前国人仕観音生浄土語 第卅五

今昔、筑前の国に一の男有けり。殊に観音に仕て、常に観音品を読けり。亦、深く善心のみ有て、敢て悪業を造らず。

而る間、其の国の内に香椎の明神と申す神、在ます。其の社に年毎に祭有り。此の男、其の祭の年預に差宛られたり。殺生を好まずと云へども、神事限り有て、魚鳥を儲けむが為に、野山に出でて鳥を伺ひ、江海に臨て魚を捕むと為るに、一の大なる池有り。水鳥、其の員居たり。弓を以て、此の鳥を射つ。即ち、池に下て、鳥を捕むと為るに、此の男、池に沈て見えず成ぬ。

然れば、人、数(あまた)池に怱ぎ下て、捜り求るに無し。父母妻子、此れを聞て、来て、泣き悲むと云へども、男、終に無ければ、甲斐無かりけり。皆、家に返ぬ。

其の夜、父母の夢に、此の男、極て喜気にて、父母に語て云く、「我れ、年来道心有て、悪業を好まずと云へども、神事を勤めむが為に、適ま殺生をせむと為るに、三宝助け給ふが故に、罪業を造らしめずして、既に他界に移て、喜き身に生れにたり。父母、更に歎き給ふ事無かれ。但し、我が骸(かばね)の有る所をば、知り給ふべし。其の骸の上に蓮花生ふべし。其の蓮花を以て、骸の有る所とは知るべき也。我れ、生きたりし時、観音に仕て、観音品を朝暮に誦せし故に、永く生死を離れ、浄土に生るる事を得たり」と云ふと見て、夢覚ぬ。

明る日、彼の池に行て見れば、骸有り。其の上に蓮花一村生たり。父母、此れを見て、哀び悲む事限無し。但し、夢の教へに違はねば、「必ず浄土に生にけり」と知ぬ。此を聞く人、来て、見て、「奇異也」と貴びけり。亦、国の内に道心有る聖人等、此の事を聞て、皆来て結縁の為に、其の池の辺にして、不断に法花の懺法を修し、弥陀の念仏を唱へて、彼の霊に廻向しけり。

昔より、其の池に蓮花生る事、無かりけり。其れに、此の骸に生たる蓮花を種として、池の内に蓮花満ち弘ごりて、生たる事隙無かりけり。

「此れ希有の事也」とて、国の人の上て語けるを聞てなむ、此く語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku16-35.txt · 最終更新: 2015/12/21 22:53 by Satoshi Nakagawa