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text:k_konjaku:k_konjaku16-33

今昔物語集

巻16第33話 貧女仕清水観音値盗人夫語 第卅三

今昔、京に有ける若き女、身貧くして世に経べき方も無かりければ、年来、清水1)に参けるに、少しの験しと思ふ事も無かりけり。

而る間、例の事なれば、清水に参て籠て観音に申さく、「我れ、年来、観音を憑み奉て、懃ろに歩を運ぶと云へども、身貧くして、少の便り無し。譬ひ前世の宿業也と云ふとも、何(いかで)か聊の利益を蒙らざらむ」と申して、低(うつぶ)し臥たる間に寝入ぬ。夢に、御帳の内より、貴く気高き僧、出来て、告て宣はく、「汝ぢ、此より京に返らむに、道にして物云ひ係る男有らむとす。速に、其の男の云はむ事に随ふべし」と宣ふと見て、夢覚ぬ。

其の後、礼拝して、夜深く只独り怱ぎ出るに、値ふ人無し。□□□の大門の前に、男一人合たり。暗ければ、誰とも見えず。男、近く寄来て云く、「我れ思ふ事有り。君、我が云はむ事に随へ」と。女、夢を憑むに、亦遁べくも非ず。夜なれば、「何こに居給へる人ぞ。名をば誰とか聞ゆる。空にも侍かな」と云へど、男、女を引へて、只曳きに東の方へ曳将行けば、曳かれて行くに、八坂寺の内に入ぬ。塔の内に曳入れて、二人臥ぬ。

夜曙ぬ。男の云く、「深き宿世有てこそ、此くも有らめ。今は此に居給ひたれ。我れは知たる人も無き身也。此より後は君を憑むべし」と云て、隔の有る内の方より、極て美なる綾十疋・絹十疋・綿などを取出して、女に与ふ。女の云く、「我れも相憑む人無くて有れば、誠に宣ふ事ならば憑てこそは有らめ」と。男、「白地(あからさま)に物に行て、夕方ぞ返り来べき。努々此くて居給ぬれ」と云て、出でて去ぬ。

女、見れば、只老たる尼一人より外に人無し。此の塔の内を栖(すみか)として有る。極て怪しく思えて、少し隔たる所の内を見れば、諸の財多かり。世に有るべき物は皆有り。女、此れを心得る様、「此れは盗人也けり。居所の無くて、此の塔の内に窃に居たる也けり」と思ふに、怖しき事限無し。「観音、助け給へ」と念じ奉る。見れば、此の尼、戸を細目に開て、臨(のぞき)て、人無き隙を量て、桶を戴て出て行ぬ。「水を汲みに行なめり」と見ゆ。

女、此の間に、「尼の返来ぬ前に出でて逃なむ」と思ふ心付て、此の得させたる綾・絹許を懐に指入て、外に出にければ、走るが如くして逃ぬ。尼、返て見るに、無ければ、「逃にけり」と思へども、追ふべき方無ければ、然て止ぬ。

女は此の物共を懐に指入て、京の方に行くに、京中をば憚り思て、五条京極渡りに、髴(ほのか)に知たる人の有ける小家に立入たるに、西の方より人多く通る。「盗人を捕て行く」と云ひ合たれば、戸の隙より和ら臨くに、我れと寝たりつる男を搦て、放免□看の長2)共の将行く也けり。

女、此れを見るに、半は死ぬる心地す。早く、思ひし如く、盗人也けり。其れを搦て、「八坂の塔に物共実録せむ」とて、将行く也けり。此れを思ふに、「其(そこ)に有らましかば、何(いかに)にならまし」と思ふに、身の置き所無し。此れに付ても、「観音の助け給ける也」と思ふに、悲き事限無し。

女、程を過して、京に入て、其の後、其の物共を少しは売などして、其れを本として、便出来て、夫など儲て有付きて過しけり。

観音の霊験の不思議なる事、此くなむ有ける。此れも、糸近き事也となむ、語り伝へたるとや。

1)
清水寺
2)
底本頭注「放免ノ下看督ノ長トアルベシ」
text/k_konjaku/k_konjaku16-33.txt · 最終更新: 2018/07/30 16:01 by Satoshi Nakagawa