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今昔物語集

巻16第32話 隠形男依六角堂観音助顕身語 第卅二

今昔、何れの程の事とは知らず。京に生侍の年若き有けり。常に六角堂に参て懃ろに仕けり。

而る間、十二月の晦日、夜に入て、只独り知たる所に行て、夜深更(ふけ)て家に返けるに、一条堀川の端を渡て、西へ行けるに、西より多の人、火を燃して向ひ来ければ、「止事無き人などの御すにこそ有ぬれ」と思て、男、橋の下に怱ぎ下て、立隠れたりければ、此の火燃したる者共、橋の上を東様に過けるを、此の侍、和ら見上ければ、早う、人には非ずして、怖げなる鬼共の行く也けり。或は角生たるも有り。或は手数(あま)た有るも有り。或は足一つして踊るも有り。

男、此れを見るに、行たる心地も為で、物も思えで立てるに、此の鬼共、皆過ぎ持行て、後に行く一つの鬼の云く、「此に人影の為つるは」と。亦、鬼有て云く、「然る者見えぬ。彼れ、速に搦めて将来れ」と。男、「今は限り也けり」と思て有る程に、一人の鬼、走り来て、男を引へて将て上ぬ。鬼共の云く、「此の男、重き咎有るべき者にも非ず。免してよ」と云て、鬼四五人許して、男に唾を吐き懸つつ皆過ぬ。

其の後、男、殺されず成ぬる事を喜て、心地違ひ頭ら痛けれども、念じて、「疾く家に行て、有つる様をも妻に語らむ」と思て、怱ぎ行て、家に入たるに、妻も子も皆男を見れども、物も云ひ懸けず、亦、男、物を云ひ懸れども、妻子、答へも為ず。然れば、男、「奇異」と思ひて近く。寄たれども、傍に人有れども1)、有とも思えず。其の時に、男、心得る様、「早う、鬼共の我に唾を吐き懸つるに依て、我が身の隠れにけるにこそ有けれ」と思ふに、悲き事限無し。

我は人見る事、本の如し。亦、人の云ふ事をも障(さはり)無く聞く。人は我が形をも見えず。音をも聞かず。然れば、人の置たる物を取て食へども、人、此れを知らず。此様(かやう)にて、夜も曙ぬれば、妻子は我を、「夜前、人に殺されにけるなめり」と云て歎き合たる事、限無し。

然て、日来を経るに為方無し。然れば、男、六角堂に参り籠て、「観音我れを助け給へ。年来、憑みを懸奉て参り候ひつる験には、本の如く我が身を顕し給へ」と祈念して、籠たる人の食ふ物や金穀米などを取り食て有れども、傍なる人、知る事無し。

此て二七日許にも成ぬるに、夜る寝たるに、暁方の夢に、御帳の辺より貴気なる僧出て、男の傍に立て、告て宣はく、「汝ぢ、速に朝此より罷出むに、初て会らむ者の云はむ事に随ふべし」と。此く見る程に、夢覚ぬ。

夜明ぬれば、罷り出るに、門許に、牛飼童の糸怖し気なる大なる牛を引て会たり。男を見て云く、「去来(いざ)、彼の主、我が共に」と。男、此れを聞くに、「我が身は顕れにけり」と思ふに、喜(うれし)くて喜び乍ら、夢を憑て、童の共に行くに、西様に十町許行て、大なる棟門有り。門閉て開かねば、牛飼、牛をば門に結て、扉の迫(はざま)の人通ふべくも無きより入るとて、男を引て、「汝も共に入れ」と云へば、男、「何でか此の迫よりは入らむ」と云ふを、童、「只、入れ」とて、男の手を引入るれば、男も共に入ぬ。

見れば、家の内大にて、人極て多かり。童、男を具して、板敷に上て、内へ只入りに入るに、「何かに」と云ふ人、敢て無し。遥に奥の方に入て見れば、姫君、病に悩み煩ひて臥たり。跡枕に女房達、居並て此れを繚(あつか)ふ。童、其(そこ)に男を将行て、小き槌を取2)せて、此の煩ふ姫君の傍に居へて、頭を打せ腰を打ぬ。其の時に、姫君、頭を立て病に迷ふ事限無し。然れば、父母、「此の病、今は限なめり」と云て、泣合たり。

見れば、誦経を行ひ、亦□□と云ふ止事無き験者を請じに遣めり。暫許有て、験者来たり。病者の傍に近く居て、心経を読て祈るに、此の男、貴き事限無し。身の気竪(よだち)て、そぞろ寒き様に思ゆ。

而る間、此の牛飼の童、此の僧を打見るままに、只逃に逃て外様に去ぬ。僧は不動の火界の呪を読て病者を加持する時に、男の着物に火付ぬ。只、焼に焼くれば、男、音を挙て叫ぶ。然れば、男、真顕(あらは)に成ぬ。

其の時に、家の人、姫君の父母より始めて女房共見れば、糸賤気(あやしげ)なる男、病者の傍に居たり。奇異(あさまし)くて、先づ男を捕へて引出しつ。「此れは何なる事ぞ」と問へば、男、事の有様を有のままに初より語る。人、皆此れを聞て、「希有也」と思ふ。

而る間、男、顕れぬれば、病者、掻巾(かきのご)ふ様に𡀍3) ぬ。然れば、一家喜び合へる事限無し。其の時に験者の云く、「此の男、咎有るべき者にも非ぬなめり。六角堂の観音の利益を蒙れる者也。然れば、速に免さるべし」と云ければ、追逃してけり。然れば、男、家に行て、事の有様を語ければ、妻、奇異と思ひ乍ら喜びけり。

彼の牛飼は神の眷属にてなむ有けり。人の語ひに依て、此の姫君に付き悩しける也けり。其の後、姫君も男も身に病ひ無かりけり。火界の呪の霊験の致す所也。

観音の御利益には、此る希有の事なむ有けるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「人有レドモノ五字一本ナシ」
2)
底本頭注「取ノ下一本寄字アリ」
3)
口へんに愈
text/k_konjaku/k_konjaku16-32.txt · 最終更新: 2016/01/16 15:43 by Satoshi Nakagawa
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