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今昔物語集

巻16第21話 下鎮西女依観音助遁賊難持命語 第廿一

今昔、鎮西□国に住ける人、京に上て、要事有ければ、京に月来有けるに、便無かりけり。宮仕しける女の、年(と)し若く形ち美麗也けるを、宿たる家の隣に有ける下女、合せてけり。

其の後、男、此の女を去難く思て過るに、男、本国へ返るべき時に成て、「此の女を具して行む」と云ければ、女、京に相憑む人も無く、知たる人も無ければ、「倡(さそ)ふ水有らば」と思ひ渡けるに、男の此く云ければ、出立けり。隣の女も、「申し伝たりし甲斐有」とて、喜びけり。

此くて、既に此の妻を具して本国に下ぬ。男、本便有ければ、思ふ様にて有る程に、二三年に成ぬ。

而る間、男、隠すと為れども、盗を役としけるを、妻、漸く其の気色を知ぬ。「旅の空にて、怖しき事や出来らむずらむ」と思へども、我を去難く思たれば、知らぬ様にて過ぐるに、「此の事を制せばや」と思ふに、又、此く猛き者なれば、怖しくて云はぬを、尚、「制してむ」と思て、静也ける時、二人臥して、万を語ひ、行末の事を契ける次(ついで)に、妻の云く、「我れ、君に云はむと思ふ事有り。聞むや」と。男の云く、「何事也と云ふとも、何ぞ聞かざらむ。譬ひ命を失ふ事也とも、辞ぶべき非ず。況や、余の事をば」と。女、「喜(うれし)」と思て云く、「年来、怪き事を見るを、其れ止め給てむや」と。男、此れを聞ままに、気色替て、物も云はで止ぬ。女、「由無き事をも云てけるかな」と悔く思へども、取返すべき事ならねば、亦云ふ事無し。

其の後、男、気色替て、妻の辺にも近付かず。妻、「由無き事を云て、我れ必ず殺されなむとす」と歎けるに、本より観音品をなむ、日毎に読奉ければ、「観音助け給へ」と、心の内にぞ念じける。

而る間、四五日許有て、男、妻に云く、「今日、此の近き所に行て、湯浴(ゆあみ)するに、去来(いざ)給へ」と云へば、女、「今日、我れをば殺さむずるにこそ有けれ」と、心得たりと云へども、遁るべき方無ければ、具して行むとす。

妻を馬に乗せて、我も馬に乗て、胡録掻負て、従者二人許具して、申酉の時許に出立て行く。妻、涙を流して、死む事を悲むで、更に道も見えねども、只心の内に観音を念じ奉て、「此の世は此て止なむとす。後生助け給へ」とぞ申しける。

此くて行く程に、片辺は山にて、今片辺は沼と云は1)池の様なる沢立たる所也ける細き道を行けるに、妻、男に云く、「只今、糸破(わり)無き事なむ有る。馬より暫く下む」と。男、気悪気にて、「然は其れ下せ」と云へば、従者、寄来て、抱て下しつれば、沢辺に下りて、遠き事を為る様にて居たり。抱き下しつる男の、近く立るを、女の「此く有る所には、近くは無き事ぞ。去(の)け」と云ければ、主の男も二段許を去きて、馬を引へて立るに、妻、「我れ、殺されむよりは、此の沼に入て、身を投てむ」と思て、着たりける衣共を脱ぎて、其の上に市女笠を置て、居たる様にして、我れは裸にて、窃に沼に這入ぬるに、此等露知らず。

此の沼の上へは、泥の如くして、葦など云ふ者生ひ滋りて、底は遥に深かりけるに、落入けるままに、息(おき)2)と思しき方へ、只這に這ひけるに、「今は死なむずらむ」と思て、観音を念じ奉て、何ことも無く這へば、底を這て行くに、水の下にて聞けば、遠らかに男の音にて、荒らかに、「何(な)ど久くは有るぞ。早く乗よ」と云なるに、女の音を為ねば、蕪箭を以て射たれば、笠の上を射つるに、下音も無く、箭の風も答へずして空なれば、男、「怪し。其れ見よ」と従者に云ふに、従者、寄て見るに、人無ければ、「御さず」と云へば、主、馬より下て見るに、衣と笠とは有て主は無し。

驚て、先づ山の方を追求むるに無し。「沼に入ぬらむ」と疑はず。而る間、日暮れて暗く成ぬれば、男、頭を掻て妬がると云へども、為べき方無くて家へ返ぬ。

女は遥に息に這出でて、終夜這て、暁に成て少し浅き所に這出ぬ。見れば、髴(ほのか)に陸近く見ゆ。人里の様なる所見ゆれば、喜び乍ら先づ陸に上ぬ。身は土形なれば、水の有る所に寄て洗ふ。三月許の事なれば、極て寒し。

篩々(ふるふふる)ふ、「人の家に立入らばや」と思ふに、夜も白々と成ぬ程に、翁の杖を突たる出来て、打見て、「此れは、何なる人の裸にては御するぞ」と云へば、女、「盗人に値たる也。何が為べき」と云へば、翁、「穴糸惜し。去来給へ」と云て、家に将行て、妻(め)の嫗(おうな)に、「此れ見よ。此る人の御するぞ」と云へば、嫗、慈悲有ける人にて、此れを哀むで、賤の襖(あを)と云ふ物着せて、奥の方に居へて、火に炮(あぶり)などして有れば、活たる心地して臥たるに、食ひ物など吉くして食せて、二三日労はる程に、見れば実に端正なる女也。早う、此れは有し所を遥に去て□□□□□□□□□。

而るに、其の国の司、□□□□と云ふ人の子也ける若かりける人、未だ妻も無くして有けるに、此の家の嫗の娘、館に宮仕して有けるに、家に出でて見るに、此の人有り。打語などして、日来有けるに、其の女童、館に行て此の人の有様を語るに、此の家の子の主、此れを聞て、忽に其の小家に行て、押入て見るに、実に糸目安くて、「此れは弊(つたな)し」と見ゆる所も無て、賤の襖を着て居たり。寄て触ばはむと為るに、辞ぶべき様無ければ、親く成にけり。

其の後、男、衣共など着せて、館に迎て住けり。日来を経る程に、女、有し事共を落さず泣々く語ければ、男こ、「奇異也ける事かな」と思て、父の守に、此の女の事とは云はで、守に云ける様、「国に某と申なる男、年来、盗を以て業として、近来、京より女を迎て、其の妻を殺さむとしけるに、逃(にが)してければ、其の妻□□の許なむ有る。速やかに召すべき也」と。守、此の事を聞て、使を彼の国に遣て、此の由を云ひ送る。

彼の国にも、其の男、本より其の聞へ有けるに合せて、此く云ひ送りたれば、即ち其の男を搦て、国人を具して送たれば、此の事を問ふに、暫は落ちざりけれども、責て問ければ、遂に有のままに云ひけり。本の妻、簾の内にして此れを見て、糸哀れに思けり。此の盗人男をば、野に将行て、頸を切てけり。

女は此の家の子と永く夫妻として京に上て住けり。「此れ偏に観音の御助け也」と信じて、弥よ懃に観音に仕けり。

実の心有る者は、此く仏の利益を蒙ける。「女の語ける也」となむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「沼ト云ハ」ノ四字一本ナシ」
2)
底本頭注「息一本澳ニ作ル下同ジ」
text/k_konjaku/k_konjaku16-21.txt · 最終更新: 2015/12/11 00:29 by Satoshi Nakagawa
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