Recent changes RSS feed

今昔物語集

巻16第16話 山城国女人依観音助遁蛇難語 第十六

今昔、山城の国久世の郡に住ける人の娘、年七歳より観音品を受け習て読誦しけり。月毎の十八日には精進にして、観音を念じ奉けり。十二歳に成るに、遂に法花経一部を習ひ畢ぬ。幼き心也と云へども、慈悲深くして、人を哀び、悪き心無し。

而る間、此の女、家を出て遊び行く程に、人、蟹を捕へて、結て持行く。此の女、此れを見て、問て云く、「其の蟹をば、何の料に持行くぞ」と。蟹持答て云く、持て行て食むずる也」と。女の云く、「其の蟹、我に得しめよ。食の料ならば、我が家に死たる魚多かり。其れを此の蟹の代に与へむ」と。男、女の云ふに随て蟹を得しめつ。女、蟹を得て、河に持行て、放ち入れつ。

其の後、女の父の翁、田を作る間に、毒蛇有て、蝦を呑むが為に追て来る。翁、此れを見て、蝦を哀て、蛇に向て云く、「汝ぢ、其の蝦を免せ。我が云はむに随て免したらば、我れ、汝を聟と為む」と、意(おも)はず騒ぎ云ひつ。蛇、此れを聞て、翁の顔を打見て、蝦を棄てて薮の中に這入ぬ。翁、「由無き事をも云てけるかな」と思て、家に返て、此の事を歎て、物を食はず。

妻、并びに此の娘、父に問て云く、「何に依て、物を食はずして歎たる気色なるぞ」と。父の云く、「然々の事の有つれば、我れ、不意(そぞろ)に騒て、然か云つれば、其れを歎く也」と。娘の云く、「速に物食ふべし。歎き給ふ事無かれ」と。然れば、父、娘の云ふに随て、物を食て歎かず。

而る間、其の夜の亥の時に臨て、門を叩く人有り。父、「此の蛇の来たるならむ」と心得て、娘に告るに、娘の云く、「『今三日を過て来れ』と約し給へ」と。父、門を開て見れば、五位の姿なる人也。其の人の云く、「今朝の約に依て、参り来れる也」と。父の云く、「今ま三日を過て来給ふべし」と。五位、此の言を聞て返ぬ。

其の後、此の娘、厚き板を以て倉代を造らしめて、廻を強く固め拈(しただめ)て、三日と云ふ夕に、其の倉代に入居て、戸を強く閉て、父に云く、「今夜、彼の蛇来て門を叩かば、速に開くべし。我れ、偏に観音の加護を憑む也」と云ひ置て、倉代に籠居ぬ。

初夜の時に至るに、前の五位来て、門を叩くに、即ち門を開つ。五位、入来て、女の籠居たる倉代を見て、大に怨の心を発して、本の蛇の形に現じて、倉代を圍み巻て、尾を以て戸を叩く。父母、来れを聞て、大に驚き恐るる事限無し。

夜半許に成て、此の叩つる音止ぬ。其の時に、蛇の鳴く音聞ゆ。亦、其の音も止ぬ。

夜明て見れば、大なる蟹を首として、千万の蟹集り来て、此の蛇を螫殺てけり。蟹共、皆這去ぬ。女、倉代を開て、父ざまに語て云く、「今夜、我れ終夜観音品を誦し奉つるに、端正美麗の僧来て、我に告て云く、『汝ぢ、恐るべからず。只、蚖蛇及蝮蝎気毒烟火等の文を憑むべし』と教へ給ひつ。此れ偏に観音の加護に依て、此の難を免れぬる也」と。父母、此れを聞て、喜ぶ事限無し。

其の後、蛇の苦を救ひ、多の蟹の罪報を助けむが為に、其の地を掘て、此の蛇の屍骸を埋て、其の上に寺を立てて、仏像を造り、経巻を写して供養しつ。其の寺の名を蟹満多寺と云ふ。其の寺、于今有り。世の人、和かに紙幡寺と云ふ也けり。本縁を知らざる故也。

此れを思ふに、彼の家の娘、糸只者には非ずとぞ思ゆる。観音の霊験、不可思議也とぞ、世の人貴びけるとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku16-16.txt · 最終更新: 2015/12/03 15:20 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2017 Satoshi Nakagawa