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text:k_konjaku:k_konjaku15-9

今昔物語集

巻15第9話 比叡山定心院供僧春素往生語 第九

今昔、比叡の山の定心院と云ふ所の供僧の十禅師にて、春素と云ふ僧有けり。幼にして山に登て、出家して、□□と云ふ人を師として、法文を学て、心直しく身浄くして、犯す所無し。而るに、定心院の供僧として、其の院に住す。

春素、常に止観と云ふ法文を開き見て、生死の無常を観じ、亦日夜に弥陀の念仏を唱へて、極楽に往生せむ事を願ひけり。此如く勤め行ひて年来を経るに、漸く年積て、春素が年七十四に成ぬ。其の年の十一月の比、春素、弟子温蓮と云ふ僧を呼て、告て云く、「今、弥陀如来、我れを迎へ給はむとして、其の使に貴き僧一人、天童一人、此に来れり。共に白き衣を着たり。其の衣の上に絵有り。花を重たるが如し。『明けむ年の三・四月は、来れ我が極楽に参るべき期也。今より速に飲食を断つべし』と示し給ふ」と。温蓮、来れを聞て、泣々く貴び思て、「我が師に相ひ副はむ事、今幾も非ず」と、心細く悲く思ふ間に、既に年明けて四月に成ぬ。

温蓮、漸く師の往生の期の来る事を喜び思ふと云へども、別れなむと為る事を心細く思ふ間に、春素、温蓮を呼て、告て云く、「前の弥陀如来の使、亦此に来て、我が眼の前に在ます。我れ、此の土を去なむと為る事、既に近し」と云て、諸共に念仏を唱へて、日中に至て、春素、西に向て端坐して、掌を合せて失にけり。温蓮、此れを見て、「我が師、身に病無して、『弥陀如来の使来れり』と云て、忽に失せ給ひぬ。疑ひ無く極楽に往生せる人也」と知て、喜び貴びて、弥よ念仏を唱へて、泣々く礼拝恭敬しけり。山の内の人、皆、此の事を聞て、貴ばずと云ふ事無し。

之を思ふに、実に弥陀如来の使の来たるべきと告げし期違はずして、聊煩ふ事無くして失たる事、疑ふべきに非ねば、此く語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku15-9.txt · 最終更新: 2015/10/01 18:51 by Satoshi Nakagawa