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text:k_konjaku:k_konjaku15-49

今昔物語集

巻15第49話 右大弁藤原佐世妻往生語 第四十九

今昔、右大弁藤原の佐世と云ふ人有けり。其の妻は山城守小野喬木と云ける人の娘也。其の女、幼き時より因果を知て、仏法を信じて道心有けり。

而る間、彼の佐世の嫁て、年来を経るに、道心退かずして、念仏・読経怠らず。而るに、此の女の兄に一人の僧有て、名を延教と云ふ。□□□の僧として、智り明けし。女、兄の延教を呼て、語て云く、「我れ、仏の道を学び知らむと思ふ。願くは、此れを教へ給へ」と。延教、此れを聞て哀て、観無量寿経及び、諸経の中に極楽の要文を書き出して、女に教ふ。女、此れを習ひ悟て、日夜寤寐に念じて忘るる事無かりけり。

亦、月毎の十五日の黄昏(たそがれ)時に至ては、必ず五体を地に投て、西に向て礼拝して、「南無西方日想安養浄土阿弥陀仏」と唱ふ。此れ常の事なるを、父母、此の事を聞て制止して云く、「若き時、必ず此如くの勤めを為じ。此れ、身の衰ふる根源也」と強に止むと云へども、女、此の勤め止る事無し。

而る間、女、年廿五と云ふに、始て一人の女子を産せり。後、悩み煩ふ事一月余有て、遂に死ぬ。其の時に、微妙の音楽の音、空に聞ゆ。此れを聞く隣り里の人、皆、「此の女の極楽に往生せる相ぞ」と知て、悲貴ばずと云ふ事無かりけり。

「出家せずして、女也と云へども、此く往生する也」と、語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku15-49.txt · 最終更新: 2015/11/09 22:36 by Satoshi Nakagawa