Recent changes RSS feed

今昔物語集

巻15第39話 源信僧都母尼往生語 第卅九

今昔、横川の源信僧都は大和国葛下も郡の人也。幼くして比叡の山に登て、学問して、止事無き学生に成にければ、三条の大后の宮1)の御八講に召されにけり。

八講畢て後ち、給はりたりける捧物の物共を少し分て、大和国に有る母の許に、「此くなむ、后の宮の御八講に参て給はりたる。始めたる物なれば、先づ見せ奉る也」とて遣たれば、母の返事に云く、「遣せ給へる物共は、喜て給はりぬ。此く止事無き学生に成り給へるは、限無く喜び申す。但し、此様(かやう)の御八講に参りなどして行(ある)き給ふは、法師に成し聞えし本意には非ず。其(そこ)には、微妙(めでた)く思さるらめども、嫗の心には違ひにたり。嫗の思ひし事は、女子は数(あまた)有れども、男子は其一人也。其れを元服をも為しめずして、比叡の山に上(あげ)ければ、『学問して、身の才吉く有て、多武の峰の聖人2)の様に、貴くて、嫗の後世をも救ひ給へ』と思ひし也。其れに、此く名僧にて花やかに行き給ふは、本意に違ふ事也。我れ、年老ひぬ。『生たらむ程に、聖人にして御せむを、心安く見置て死なばや』とこそ思ひしか」と書たり。

僧都、此れを披て、見るにも涙を流して、泣々く即ち亦返事を遣て云く、「源信は更に名僧せむの心無し。只、『尼君の生き給へる時、此の如く止事無き宮原の御八講などに参て聞かせ奉らむ』と思ふ心深くして、怱ぎ申しつるに、此く仰せられたれば、極て哀れに悲くて、喜(うれ)しく思ひ奉る。然れば、仰せに随て、山籠りを始て、聖人に成む。今は、『値はむ』と仰せられむ時にぞ参るべき。然らざらむ限りは山を出づべからず。但し、母と申せども、極たる善人にこそ御ましけれ」と書て遣りつ。

其の返事に云く、「今なむ胸落居て、冥途も安く思ゆる。返々す喜しく思ひ聞ゆ。努々め愚に御すべからず」と。僧都、此れを見て、此の二度の返事を法文の中に巻き置て、時々取り出て見つつぞ泣きける。此く山に籠て、六年は過ぬ。

七年と云ふ年の春、母の許に云ひ遣て云く、「六年は既に山籠にて過ぬるを、久く見奉らねば、恋しくや思し食す。然ば、白地(あからさま)に詣でむ」と。返事に云く、「現に恋しくは思ひ聞ゆれども、見聞えむにやは罪は亡びむずる。尚、山籠にて御せむを聞かむのみぞ、喜かるべき。此れより、申さざらむ限りは出給ふべからず」と。僧都、此れを見て、「此の尼君は只人にも無き人也。世の人の母は、此く云ひてむや」と思て過す程に、九年に成ぬ。

「告げざらむ限りは、来べからず」と云ひ遣せたりしかども、怪く心細く思て、母の俄に恋く思えければ、「若し、尼君の失せ給ふべき尅の近く成にたるか。亦、我が死すべきにや有らむ」と哀れに思えて、「然はれ、『来べからず』とは宣ひしかども、詣でむ」と思ひて、出立て行くに、大和国に入て、道に、男、文を持て値へり。僧都、「何(いづく)へ行く人ぞ」と問へば、男の云く、「然々の尼君の、横川に坐する子の御房の許へ遣す文也」と云へば、「然は我れ也」と云て、文を取て、馬に乗り乍ら、行々く披て見れば、尼君の手には非で、賤(あやし)の様に書かれたり。

胸塞りて、「何なる事の有にか」と思えて読めば、「日来何とも無く、『風の発たるか』と思つるに、年の高き気にや有らむ、此の二三日弱くて、力無く思ゆる也。『申さざらむ限りは出給ふべからず』とは心強く聞えしかども、限の尅に成ぬれば、『今一度、見進(みたてまつ)らでや止なむずらむ』と思ふに、限無く恋く思え給へば申す也。疾々く御せ」と書たるを見るに、「怪く、心に此く思えつるは、此く有ければにこそ有けれ。祖子の契は哀なる事とは云乍ら、仏の道に強に勧め入れ給ふ母なれば、此くは思えける也けり」と思ひ次(つづ)くるに、涙雨の如く落て、弟子なる学生共、二三人許具したりければ、其れ等にも、「此る事の有ければ也けり」と云て、馬を早めて行ければ、日暮にぞ行き着たりける。

怱ぎ寄て見れば、無下に弱く成て、憑もし気も無し。僧都、「此くなむ詣来たる」と高やかに云へば、尼君、「何で疾くは御つるぞ。今朝、暁にこそ人は出し立つれ」と。僧都の云く、「此く御しければにや、近来恋く思え給ひつれば、参つる程に、道にして使は値たりつる」と。尼君、此れを聞て、「穴喜し。『死の尅には値ひ給ふまじきにか』とこそ思つるに、此く御はし値ひたる事、契り深く、哀れにも有けるか」など、気の下に云へば、僧都の云く、「念仏は申し給ふか」と。尼君、「心には申さむと思へども、力無きに合せて、勧むる人の無き也」と云へば、僧都、貴き事共を云ひ聞せつつ、念仏を勧むれば、尼君、懃ろに道心を発して、念仏を一二百返許唱ふる程に、暁方に成て、消入る様にて失ぬれば、僧都の云く、「我れ来ざらましかば、尼君の臨終は此くは無からまし。我れ、祖子の機縁深くして、来り値て、念仏を勧めて、道心を発して、念仏を唱へて失せ給ひぬれば、往生は疑ひ無し。況や、我れを聖の道に勧め入れ給へる志に依て、此く終りは貴くて失給ふ也。然れば、祖は子の為、子は祖の為に、限無かりける善知識かな」と云てぞ、僧都、涙を流して泣きける。

其の後、七々日の法事を慥に修し畢て、弟子引具して、横川には返たりける。横川の聖人達も、此れを聞て、「哀れ也ける祖子の契也」と云てぞ、泣々く貴びけるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
朱雀天皇皇女昌子内親王
2)
増賀
text/k_konjaku/k_konjaku15-39.txt · 最終更新: 2015/11/05 22:08 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2017 Satoshi Nakagawa