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今昔物語集

巻15第26話 播磨国賀古駅教信往生語 第廿六

今昔、摂津国の島の下の郡に勝尾寺と云ふ寺有り。其の寺に、勝如1)聖人と云ふ僧住しけり。道心深して、別に草の庵を造て、其の中に籠居て、十余年の間、六道の衆生の為に無言して懃に行ひけり。弟子・童子の見る事そら尚し希也。況や、他人を見る事は無し。

而る間、夜半に人来て、柴の戸を叩く。勝如、此れを聞くと云へども、無言なるに依て、問ふ事能はずして、咳の音を以て叩く人に知らしむるに、叩く人に云く、「我れは、此の播磨の国賀古の駅の北の辺に住つる沙弥教信也。年来、弥陀の念仏を唱へて、『極楽に往生せむ』と願ひつる間、今日、既に極楽に往生す。聖人、亦某年某月某日、極楽の迎へを得給ふべし。然れば、此の事を告げ申さむが為に来れる也」と云て去ぬ。

勝如、此れを聞て、驚き怪むで、明る朝に、忽に無言を止めて、弟子勝鑒と云ふ僧を呼て、語て云く、「我れ、今夜、然々の告有り。汝ぢ、速に彼の播磨の国賀古の駅の辺に行て、『教信と云ふ僧有や』と尋て、返来べし」と。

勝鑒、師の教に随て、彼の国に行て、其の所を尋ね見るに、彼の駅の北の方に小さき庵有り。其の庵の前に、一の死人有り。狗・鳥集りて、其の身を競ひ噉ふ。庵の内に、一人の嫗、一人の童有り。共に泣き悲む事限無し。勝鑒、此れを見て、庵の口に立寄て、「此れは何なる人の、何なる事有て泣くぞ」と問ふに、嫗、答て云く、「彼の死人は、此れ我が年来の夫也。名をば沙弥教信と云ふ。一生の間、弥陀の念仏を唱へて、昼夜寤寐に怠る事無かりつ。然れば、隣り里の人、皆教信を名付て阿弥陀丸と呼びつ。而るに、今夜既に死ぬ。嫗、年老て、年来の夫に別れて泣き悲む也。亦、此の侍る童は、教信が子也」と。

勝鑒、此れを聞て、返り至て、勝如聖人に此の事を委く語る。勝如聖人、此れを聞て、涙を流して悲び貴むで、忽に教信が所に行て、泣々く念仏を唱へてぞ、本の庵に返にける。其の後、勝如、弥よ心を至して、日夜に念仏を唱へて、怠る事無し。

而る間、彼の教信が告げし年の月日に至て、遂に終り貴くて失にけり。此れを聞く人、皆、「必ず極楽に往生せる人也」と知て貴びけり。

彼の教信、妻子を具したりと云へども、年来念仏を唱へて、往生する也。然れば、往生は偏に念仏の力也となむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「勝如釈書証如ニ作ル下同ジ」
text/k_konjaku/k_konjaku15-26.txt · 最終更新: 2015/10/28 00:56 by Satoshi Nakagawa
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