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今昔物語集

巻15第23話 始丹後国迎講聖人往生語 第廿三

今昔、丹後の国に聖人有けり。極楽に往生せむと願ふ人、世に多かりと云へども、此の聖人は強になむ願ひける。

十二月の晦日に成て、「今日の内に必ず来れ」と云ふ消息を書て、一人の童子に預けて、教て云く、「暁に我が未だ後夜起せざらむ程に、汝ぢ、此の消息を持来て、此の房の戸を叩け。『我れ、誰そ。此の戸叩くは』と問はば、汝ぢ、『極楽世界より阿弥陀仏の御使也。此の御文奉らむ』1)」云ひ置て、我れは寝ぬ。

暁に成て、童子、云ひ含たる事なれば、柴の戸を叩く。聖人、儲けたる言なれば、「誰ぞ、此の戸を叩くは」と問ふに、「極楽の阿弥陀仏の御使也。此の御文奉らむ」と云へば、聖人、泣々く丸び出て、「何事に御坐つるぞ」と問て、敬ひて文を取て見て、臥し丸び涙を流して泣けり。

此如く観じて、年毎の事として、年積にければ、使と為る童子も、習て吉く馴てぞ、此の事をしける。

而る間、其の国の守として、大江清定と云ふ人、此の聖人を貴びて帰依する程に、聖人、守の国に有る間に、館に行て、守に値て云く、「此の国に迎講と云ふ事をなむ始めむと思給ふるを、己が力一つにては叶難くなむ侍る。然れば、此の事、力を加へしめ給ひなむや」と。守、「糸安き事也」と云て、国の然るべき者共を催して、京より舞人・楽人なむど呼び下して、心に入れて行はしめければ、聖人、極て喜て、「此の迎講の時に、我れ極楽の迎を得るぞと思はむに、命終らばや」と守に云ひければ、守、「必ずしもや」と思て有けるに、既に迎講の日に成て、儀式共微妙にして事始まるに、聖人は香炉に火を焼て娑婆に居たり。

仏は漸く寄り来り給ふに、観音は紫金の台を捧げ、勢至は蓋を差し、楽天の菩薩の菩薩は一鶏婁を前として微妙の音楽を唱へて、仏に随て来る。其の間、聖人、「涙を流して念じ入たり」と見ゆる程に、観音、紫金台を差寄せ給たるに動かねば、「貴しと思ひ入たるなめり」と見る程に、聖人、気絶て失にけり。音楽の音に交(まぎ)れて、聖人絶入たりと云ふ事をも知らざりけり。

仏、既に返り給ひなむと為るに、「聖人、云ふ事もや有る」と時替まで待つに、物も云はず動かねば、怪びて弟子寄て引き動かすに、痓(すくみ)にたりければ、其の時にぞ、人知て、皆、「聖人往生しにけり」と云て、見喤(ののし)り泣き貴びける。

「実に、日来、『聊に煩ふ事も無くて、仏を見奉りて、迎はれ奉るぞ』と思ひ入て失なむは、疑ひ無き往生也」とぞ、讃め貴ける。況や、日来、「此の時に命終らむ」と願ひけるに違ふ事無し。実に奇異に貴き事なれば、此く語り伝へたるとや。

1)
「と云へ」などの脱文が想定される。
text/k_konjaku/k_konjaku15-23.txt · 最終更新: 2015/10/17 12:32 by Satoshi Nakagawa
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