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text:k_konjaku:k_konjaku14-44

今昔物語集

巻14第44話 比叡山僧宿播磨明石値貴僧語 第四十四

今昔、比叡の山に陽信と云ふ僧有けり。学生の方も賢く、真言も吉く知たりけり。

年来、山に有ける程に、阿闍梨を下臈に超えられにければ、世の中冷(すさま)じがりて、「山を去なむ」と思ふ心付にける事有けるに依て、「伊与の国の方へ行なむ」と思て行く程に、播磨の国明石の津と云ふ所に宿ぬ。

其の比、其の国に大疫盛に発けり。其の中にも、其の明石の津の辺には、病まぬ家も無く病臥たりけり。此の陽信、聞けば、其の郷の者共、極(いみ)じく怱(いそ)ぎ騒ぐ。「何事の有ぞ」と問へば、郷の人の云く、「此の郷には、近頃、大疫発て、病まぬ者無く病み侍るを、『祭して必ず止めむ」と云ふ法師陰陽師の出来て申せば、彼が云ふに随て、其の祭の物共、郷の者共に宛渡して有れば、其れ怱ぐ也」と。

陽信、此れを聞て思はく、「何なる横惑の奴の、人を謀て物取らむとて、構へ事為るならむ。此れ、下衆共に交見む」と思て、其の日留ぬ。

明る日の事なれば、夜明るままに、陽信、此れを見むが為に、共の下僧の賤の水干袴を取て、郷の者共、物の具共持たる夫に交て、物を荷て、祭る所に行て見れば、明石の浜の広く瀝(きよ)きに、直(うるはし)き所にて祭る也けり。持集たる物は、新き桶五六許・精(しらげ)たる米・大豆・角豆・餅、并に時の菓子(このみ)・薑・大小の土器・浄き草座に手作の布・椙榑・美の紙・油、此の様の物共、多く持集たり。皆勘へたり。員の如くなるべし。

持来り畢ぬれば、祭せむと為る法師、布を三の四の許に並べて、細に閉て広幕にして、方二丈許に榑を以て幕柱に造て、張廻れば、其の内に梻(しきみ)を立廻かして、注連(しめ)を引て、其の内に薦を四方に敷て、薦の中の庭は方一丈許砂にて有り。其れを吉く馴して、細き木の長きを以て、吉く見れば、胎蔵会の曼荼羅を極(いみじ)く直く書く。

然て、此の敷たる薦の上に、土器を以て閼伽を奉る。鉢共に五穀を高く盛て居へたり。時の菓子も皆な居へ次(つづ)けたり。四の角に御明(みあかし)を灯(ともし)て、紙を以て幡を造て、四方の左右に八づつ立廻らかしたり。我が布を以て浄衣に着たり。弟子四五人許有も、皆浄衣を着たり。

此く調へて後、仏前と思しき方に向ひ、胎蔵界供養法を、露残る事無く行ひて居たり。見知たる人も有らじと思ふべければ、結ぶ印、露も隠さずして行ふ様ま、深く習たる事と見ゆ。陽信、此れを見るに、貴く悲き事限無し。

然れば、「此る者も世には有けり」と思ふに奇異(あさま)し。調へ荘(かざり)たる事共、厳(いつくし)く微妙(めでた)ければ、郷の者共も百人許居並て、兼てより「皆、沐浴潔斎して有れ」と教へたりければ、長童(おとなわらは)とも無く念珠を提て、念じ入たる様、他事無く懃(ねんごろ)也。陽信、山にして多の止事無き事共を見しかども、未だ、此く貴く厳重なる事をば見ざりつれば、「実に此る人も世には有けり。必ず此の人の弟子に成む」と思へば、畢るまで居て、白地目(あからめ)もせず見居たる也。

此の法、行ひ畢つれば、幕の内に調へ居へたる物の具共、皆取り集て、傍に置つ。幡・注連より始めて、露残す物無く、皆取りて壇に置つ。亦、前の如く、他の物の具共を以て、前に露ゆ替る事無く、同様に調へ居へつ。中の庭をば残して、砂を馴し畢て、金剛界の曼荼羅を初の如く書く。書畢て、御明し灯し、香に火置きなむどして、亦金剛界の供養法を露残す事無く行なふ様、少しも愚なる事無し。

行ひ畢て、此の度は幕より始め皆な壊て、同じ所に積置つ。桶・杓に至まで、火を付て焼く。露の物をも残さず、只残れる物は、我が着たる浄衣、弟子共の着たる浄衣許也。其の時に、国人共、此く焼き失なふを見て、「物を取らむと為るには非ぬ也けり」と思て、極く貴く思合たる気色共有り。

陽信も「此の人に必ず会はむ」と思へば、物共焼畢て、郷人共は皆返れども、陽信は留て、「僧の返らむ所に行きて語はむ」と思へば、暫く留て居たるに、僧、拈(したため)畢て、䒾(みの)打着て、郷に留まらずして去なむと為る気色有れば、陽信、寄て、僧に、「此れは何で此くは御すぞ」と、事の有様を委く問ふに、僧、陽信が物云ふ様を聞て、「賤き下衆には非ず。無下の田舎人の限りと思けるに、此る者の有ける」と思けるにや、気色替て、只騒ぎに騒て、逃るが如くにして、物も取敢ず、備前の方様に逃て行ぬ。陽信、口惜く思ゆる事限無し。

其の夜、此の人を留敢へで、本の所に返て聞けば、此の行ひしつる程より、此の郷に病臥たる者共、一度に皆温(あたたかさ)醒めて、「己が家の者も止にたり。己が許にも宜く成にたり」と云ひ喤(ののし)る。凡そ、此の郷のみに非ず。国の内の病、其の日より悉く止にけり。「此れ、偏に此の祭の験也」と云て、皆喜び合たりけり。陽信、此の僧を懃に貴く思ければ、東西を尋けれども、其の後、露有所をだに聞かずして止にけり。

此れを思ふに、実に止事無かりける聖人の、人を利益せむが為に来て、両界の法を行ひて、大疫を止ける也。陽信、此れを存じて、僧に委く語らぬ事を限無く口惜く思て、陽信が語けるを聞て、語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku14-44.txt · 最終更新: 2015/09/25 23:20 by Satoshi Nakagawa