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今昔物語集

巻14第42話 依尊勝陀羅尼験力遁鬼難語 第四十二

今昔、延喜1)の御代に、西三条の右大臣と申す人御けり。御名をば良相2)とぞ云ける。其の大臣の御子に、大納言の左大将にて常行3)と云ふ人御けり。其の大将、未だ童にて、勢長の時まで冠をも着けずしてぞ御ける。其の人の形、美麗にして、心に色を好て、女を愛念する事並無かりけり。然れば、夜に成れば家を出て、東西に行くを以て業とす。

而る間、大臣の家の西の大宮よりは東、三条よりは北、此れを西三条と云ふ。其れに、此の若君み、東の京に愛念する女有ければ、常に行けるを、父母、夜行を恐て強に制し給ひければ、窃に人にも知らしめずして、侍の馬を召て、小舎人童・馬の舎人許を具して、大宮登りに出でて、東ざまに行けるに、美福門の前の程を行くに、東の大宮の方より多の火を燃(とも)して、喤(ののしり)て来る。若君、此れを見て云く、「彼れ何人の来るなるらむ。何(いづく)にか隠るべき」と。小舎人童の云く、「昼る見候つれば、神泉の北の門こそ開て候ひつれ。其れに入て、戸を閉て暫く御まして、過さしめ給へ」と。若君、喜びて、馳て神泉の北の門の開たるに打入て、馬より下て、柱の本に曲(かがま)り居ぬ。

其の時に、火燃たる者共過ぐ。「何者ぞ」と、戸を細そ目に開て見れば、早う、人には非で鬼共也けり。様々の怖し気なる形也。此れを見て、「鬼也けり」と思ふに、肝迷(まど)ひ心砕て、更に物思えず。

目も暮て□□□4)臥たるに、聞けば、鬼共過ぐとて云ける様、「此に気はひこそすれ。彼れ、搦め候はむ」と云て、□者、一人走り係て来也。「我が身、今は限りぞ」と思ふに、近くも寄来ずして走り返ぬなり。亦、音有て、「何ぞ搦めざる」と云へば、此の来つる者の云く、「否(え)搦得ざる也」と云ふに、「何の故に搦めざるぞ。慥に搦めよ」と行へば、亦他の鬼、走り来る。亦、前の如く、近くも寄来ずして走り返ぬ。

「何ぞ、搦たりや」と云ふに、「尚搦得ざる也」と云へば、「怪き事を申すかな。我れ搦めむ」と云て、此く俸(おきて)つる者、走り係て来るに、始よりは近く来て、既に手係く許り来ぬ。「今ぞ限り也ける」と思ふ間に、亦走り返ぬ。「何(いか)に」と問ふなれば、「実に搦得ざる、理也けり」と云へば、亦、「何なれば然るぞ」と問ふなれば、「尊勝陀真言の御ます也けり」と云ふに、其の音を聞て、多く燃たる火を一度に打消つ。東西に走り散る音して失ぬ。中々、其の後、頭の毛太りて物思えず。

然れども、此くて有べき事に非ねば、我れにも非で馬に乗て、西三条に返ぬ。曹司に行て、心地極て悪しければ、弱て臥ぬ。身も暑く成たり。

乳母、「何くに行き給ひつるぞ」と、「殿御前の此く許り申さしめ給ふに、夜深く行かせ給ふと聞かせ給はば、何に申させ給はむ」など云て、近く寄て見るに、極て苦し気なれば、「何ぞ苦し気には御ますぞ」と云て、身を掻き捜れば、極て暑し。然れば、乳母、「此(かく)は御ますぞ」と云て、迷(まど)ひつ。

其の時に、若君、有つる様を語り給ければ、乳母、「奇異(あさまし)かりける事かな。去年、己れが兄弟の阿闍梨に云て、尊勝陀羅尼を書かしめて、御衣の頸に入れしが、此く貴かりける事。若し、然らざらましかば、何ならまし」と云て、若君の額に手を当てて泣く事限無し。

此くて、三日許暑くして、様々の祈共始められて、父母も囂(さわ)ぎ給ひけり。三四日許有てぞ、心地直たりける。其の時に暦を見ければ、其の夜、忌夜行日に当たりけり。

此れを思ふに、尊勝陀羅尼の霊験、極て貴し。然れば、人の身に必ず副奉るべき也けり。若君も、其の尊勝陀羅尼衣の頸に有りと云ふ事を、知給はざりけり。其の比、此の事を聞き及ぶ人、皆尊勝陀羅尼を書て守にしてなむ具し奉けるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「延喜ノ右原本及諸本水尾ノ天皇ト傍注セリ」
2)
藤原良相
3)
藤原常行
4)
底本頭注「暮テノ下一本フシ丸ビタルニトアリ」
text/k_konjaku/k_konjaku14-42.txt · 最終更新: 2015/09/23 21:57 by Satoshi Nakagawa
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