Recent changes RSS feed

今昔物語集

巻14第39話 源信内供於横川供養涅槃経語 第卅九

今昔、比叡の山の横川の源信僧都の内供にて有ける時に、横川に、諸の道心を発せる聖人達と道心にして、涅槃経を書写し奉る。各一巻づつ此れを書く。

而るに、西塔の実因僧都、此の事を聞て、「此れ貴き功徳也。結縁の為に我れも書奉らむ」と云て書くを、西塔の人、皆聞継て書けり。而るに、東塔の四の谷、並に無動寺まで聞継て、既に十五部に成給ひぬ。「劣らじ、負けじ」と競ひ書ける程に、各目も曜く許、微妙(めでた)く貴く書奉りける。

既に供養の日に成て、各横川に持ち集たる員ず、極て多し。経をば経机共に居(すゑ)並べ奉て、僧共の前に皆置たり。

時も吉き程に成ぬるに、西塔の実因僧都、経共を具し奉て、同院の人共、七八十人許引将て渡れり。然れば、諸の人思はく、「今日の講師は此の僧都の勤め給ふべき也けり」と思合るに、何にも無くて、居固まりて、時も移る程に、実因僧都、源信内供に云く、「今は疾くこそ始め給ひてめ。何ぞ遅く成るぞ」と。内供の云く、「実に久く罷り成ぬ。疾く礼拝に登らしめ給ふべき也」と。僧都の云く、「己れ、今日の講師仕らむ事、更に有べき事に非ず。御房の勤給ふべき也」と。内供の云く、「己れ、何でか仕らむ。極て見苦き事なるべし。只、御房ぞ疾く登らしめ給ふべき也」と。僧都の云く、「然らば、今日の供養は候ふべからぬ事なり。何(いか)に仰せらると云ふとも、更に為べき事に非ず。尚仰せらるれば、西塔に罷返なむ」と。

此の如く互に譲る間に、日も漸く傾きぬれば、内供、「此く仰せられむ事を、強に申し返さむも、極て忝く思ゆ。亦、人々の限無き道心を発し給へるに、今日を延べむも不便なるべし。然れば、只、形の如く申し上む」と云て、立ち寄るを見れば、布衣の太つかなるを着て、下には紙衣を着たり。裳袈裟などにも、布を太つかなるを着たり。見るに、極て貴し。「昔の大迦葉も此く様の姿にや在けむ」と押し量らる。

此て、礼盤に登て、先づ見廻して、仏の御方に向て、貴く振たる音を以て云く、「涅槃経は生々世々にも聞奉る事難し。今日の結縁は、昔の深き契に依て也。大衆、諸共に深く此の事を信じて、先づ同時に礼拝し給へ」と云て、立て礼拝す。内供、袖を以て貌(かほ)に覆て、音を放て泣き給ふ。大衆、亦一時に音を放て泣く音、「昔の沙羅林の人の泣きけむも、此(かく)こそは有けめ」と、貴く悲く押し量らる。

皆泣き入て、暫許(とばかり)有てなむ、講師、泣々く涙に噎(む)せ乍ら、形の如く申し上げ給ひける事畢て、僧都、西塔に返て、房にして云はれける様、「己れ講師為(せ)ましに、仏に物申す事などは、何どか為ざらむ。但し、若干の人を一度に涙を落して泣かしむる事は、有るべき事にも非ず。此れは、内供の極たる聖に在ます徳に依て、泣かしめ給也。今日の結縁の功徳に依て、我が身、三悪道に堕ちじと思ふが、極めて貴く悲き也」と云てぞ、泣き給ひしと、小野の座主と云ふ人の聞て語るを、聞き継てなむ、語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku14-39.txt · 最終更新: 2015/09/22 21:16 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2017 Satoshi Nakagawa