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今昔物語集

巻14第38話 誦方広経僧入海不死返来語 第卅八

今昔、奈良の京に一人の僧有けり。妻子を具せりと云へども、日夜に方広経を読誦す。而るに、此の僧、銭を貯て人に借して、員を倍して返し得るを以て、妻子を養ひ世を渡けり。亦、此の僧、一人の娘有り。夫に嫁て同じ家に住む。

安倍の天皇1)の御代に、彼の娘の夫、陸奥国の掾に任ぜり。而るに、舅僧の銭廿貫を借用して彼の国に下ぬ。一年を経るに、借れる所の銭、一倍しぬ。返上て、僅に本の員を返して、一倍せる所の銭を償(あが)はず。年月を経るに随て、僧、聟に此れを責め乞ふ。聟、返すべき力無くして、心に思はく、「窃に舅を殺してむ」と思ふ間、聟、遠国に行かむと為る事を謀て、舅に語て云く、「彼の国に行て、此の銭を償はむと思ふ。然れば、共に具して行け」と。舅、聟の云ふに随て行く間だ、相共に同船に乗れり。

其の時に、聟、船人に心を合せて、舅の僧を捕へて、四の枝を縛て海の中に落し入れつ。返て、娘に告て云く、「汝が父の大徳は、途中にして船より海に落入て死にき。救ひ取むと為しかども力及ばざりき。我も殆(ほとほど)しき程にて生たる也。然れば、我れともに彼の国に下らずして返れり」と。娘め、此れを聞て、大きに泣き悲て云く、「悲哉、再び祖の貌(かほ)を見ず成ぬる事。我れ、何で彼の海の底に入て、空き骸(かばね)を見む」と、泣き悲ぶ事限無し。

而るに、僧は海の底に入れりと云へども、海の水浮び漂ふ当りに寄らずして、僧、方広経を誦す。二日二夜を経るに、船に乗たる人、此の所を過ぐるに、船人の見るに、海の中に波に随て浮て漂ふ者有り。此れを引上て見れば、縛られたる僧也。貌の色替はらずして、衰へたる気色無し。船人、大に奇(あやしみ)て、「何人ぞ、此(かく)は縛られたるは」と問へば、「我は然々の者也。盗人に値て、縛られて落入れられたる也」と答ふ。亦問て云く、「汝ぢ、何なる勤有てか、海に入ると云へども死なざる」と。僧の云く、「我れ、指(させ)る勤無し。只、日夜に方広大乗経を誦し持(たも)つ。定めて其の力なるべし」と。但し、前の事をば語らずして、本の里に返らむ事を願ふ。船人、此れを聞て、哀むで家に送りつ。

而る間、聟、其の家にして、舅の後世を訪はむが為に、僧供を儲て自ら捧て僧に分つ。而る間、舅、家に至て、面を隠して僧の中に交て、僧供を請く。聟、髴(ほのか)に其の貌を見付て、驚き怖て隠にけり。

舅、此れを怨みずして、遂に顕はさざりけり。「命を生く事、偏に方広大乗経の力也」と知て、弥よ誦する事怠らず。

此れを思ふに、「聟の殺すも邪見なるべし。又、舅の銭を責むるも不善の事也」とぞ、聞く人、云ひ謗しりけるとなむ、語り伝へたるとや。

1)
元明天皇
text/k_konjaku/k_konjaku14-38.txt · 最終更新: 2015/09/19 18:58 by Satoshi Nakagawa
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