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今昔物語集

巻13第31話 備前国人出家誦法花経語 第卅一

今昔、備前の国に一の沙弥有けり。年来、彼の国に居住して妻子を具して世を渡る間に、何にか思ひ得けむ、俄に妻子を棄てて、国を出でて、比叡の山に登て受戒しつ。其れより三井寺に行て、其の寺の僧を成て、日夜に法花経を読誦する間に、空に思えて誦するに、十余年の間に二万余部を誦しつ。寺の内の上中下の人、此れを見て、皆貴び讃る事限無し。

而る間、此の僧、亦何が思ひ返しけむ、本国に返り下て、家に有て世を渡る事本の如く也。然れば、持(たも)ち奉れる所の法花経、皆忘れて久く成ぬ。妻子の中に有て、実に無慚なる事限無し。

而る間、此の僧、漸く年老ぬ。身に病を受て、日来悩むで、既に死なむとす。而るに、相知れる輩来て、僧に告て云く、「汝ぢ、今は此の生の事、憑(たのみ)無き身になむぬ。専に後世助からむ事を願ふべし。其れに、汝が年来持ち奉りし所の法花経を誦し、亦阿弥陀仏の御名を唱へて、極楽に生れむと思ふべし」と。僧、此の言を聞くと云へども信ぜずして、頭を振て、念仏を唱へず、法花を誦さず。

而る間、日来を経て、此の病少し減気有り。其の時に、僧、何なる事か有けむ、俄に起上がりて、沐浴潔斎して、浄き衣を着て、掌を合せて、三宝に申て云く、「我れ、本法花経を持て、多く読誦すと云へども、魔の為に擾乱されて、年来法花経を棄て奉りて、邪見に着せり。而るに、今忽に普賢の加護を蒙て、本の心に成る事を得たり。昔し、十余年の間に読誦せる所の二万余部の法花経、若し失給はずして、尚我が心の内に在まさば、我れ、今命終らむ時に、本の如くに空に読奉らむに、思え給へ」と誓て、傍なる人を勧めて、「妙法蓮花経序品第一」と唱へしめて、其の音に継て、「我れ如是我聞」と誦して、其の後、心を至して音を高くして、一部を慥に誦し畢て、礼拝して死にけり。

此れを見聞く人、貴びけりとなむ語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku13-31.txt · 最終更新: 2015/08/13 21:07 by Satoshi Nakagawa
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