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text:k_konjaku:k_konjaku13-2

今昔物語集

巻13第2話 籠葛川僧値比良山持経仙語 第二

今昔、葛川と言ふ所に籠て修行する僧有けり。穀を断て菜を食て、懃に行て月来を経る間に、夢に気高き僧出来て、告て云く、「比良山の峰に仙人有て、法花経を読誦す。汝、速に其の所に行て、彼の仙人に結縁すべし」と。夢覚て後、忽に比良の山に入て尋ぬるに、仙人無し。

日来を経て、強に尋ね求る時に、遥に法花経を読む音許、髣(ほのか)に聞ゆ。其の音貴くして、譬ふべき方無し。僧、喜て、其の音を尋て、東西に走り求るに、経の音許を聞て主の体を見る事を得ず。心を尽して終日に求るに、巌の洞有り。傍に大なる松の木有り。其の木、笠の如し。洞の中を見るに、聖人居たり。身に肉無くして、只骨皮許也。青き苔を以て服物(きもの)と為り。

僧を見て云く、「何なる人の此には来り給へるぞ。此の洞には未だ人来ざる所也」と。僧、答て云く、「我れ葛川に籠り行ふ。夢の告に依て結縁の為に此れる也」と。仙人の云く、「汝ぢ、我れに暫く近付かずして、遠く去て居るべし。我れ、人間の煙の気、目に入て涙出て堪難し。七日を過て近付くべき也」と。然れば、僧、仙人の云ふに随て、洞より一二段許を隔てて宿ぬ。

其の間、仙人、昼夜に法花経を読誦す。僧、此れを聞くに、貴く悲くて、「罪障皆亡びぬらむ」と思ふ。而る間、見れば、諸の鹿・熊・猿及び、余の鳥獣、皆菓(このみ)を持来て、仙人に供養し奉る。而るに、仙人、一の猿を以て使として、菓を僧の所に送る。

此如くして七日を過ぬれば、僧、仙人の洞の辺に詣づ。其の時に、仙人、僧に語て云く、「我は此れ本興福寺の僧也。名をば蓮寂と云ひき。法相大乗の学者として、其の宗の法文を学び翫びし間に、我れ法花経を見奉りしに、「汝若不取。後必憂悔。」と云ふ文を見てしより、始めて菩提心を発しき。「寂寞無人声。読誦此経典。我爾時為現清浄光明身。」の文を見しより、永く本寺を出でて、山林に交て、仏道を修行して、功至り徳を重て、自然ら仙人と成る事を得たり。今、宿因有て此の洞に来れり。人間を離れて後は、法花を父母とし、禁戒を防護として、一乗を眼として遠き色を見、慈悲を耳として諸の音を聞く。亦、心に一切の事を知れり。亦、兜率天に昇て弥勒を見奉て、亦余1)の所々に行て聖者に近付く。天魔波旬も我が辺に寄らず。怖畏災禍も更に名を聞かず。仏を見、法を聞く事、心に任せたり。亦、此の前に有る松の木は、笠の如くして、雨経ると云へども、洞の前に雨来ず。熱き時には蔭を覆ひ、寒き時には風を防ぐ。此れ亦自然ら有る事也。汝ぢ、亦此に尋ね此れる宿因無きに非ず。然れば、汝ぢ、此に住して仏法を修行せよ」と。

僧、仙人の言を聞て敬て、「此れを好もし」と思ふと云へども、性堪へずして、礼拝恭敬して返り去ぬ。仙人の神力を以て、日の内に本の葛川に至ぬ。同行に此の事を具に語る。同行、此れを聞て、貴む事限無し。誠の心を至して修行する人は仙人に成る事、此如くとなむ、語り伝へたるとや。

1)
「余」は「餘」
text/k_konjaku/k_konjaku13-2.txt · 最終更新: 2015/07/23 15:46 by Satoshi Nakagawa