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今昔物語集

巻12第37話 信誓阿闍梨依経力活父母語 第卅七

今昔、信誓阿闍梨と云ふ人有けり。安房の守高階の兼博の朝臣の子也。天台の観命律師の弟子也。幼稚の時より法花経を受持して、日夜に読誦す。亦、真言を受け習て、朝暮に修行す。

而る間、堅固に道心発ければ、永く現世の名聞利養を棄て、偏に後世の仏果菩提を願ひけり。然れば、本山を去て、忽に丹波の国船井の郡□棚波の滝と云ふ所に行て、其(そこ)に籠り居て、法花経を誦し真言を満て、専に菩提を祈る。

而る間、形貌端正なる童子、阿闍梨の前に出来れり。此れを何より此れる人と知らずして、怪び思ふ程に、童子、阿闍梨に向て、微妙の音を挙て誦して云く、「我来聴法花。遂果四弘願。当従其口出。栴檀微妙香。」と誦して、暫く阿闍梨の法花経誦するを聞て、即ち見えず。阿闍梨、奇異(あさまし)く思て、「何こへ行ぬるぞ」と思て求るに、更に無し。遂に誰と知らざるに依て、「天童の下て、我れを讃むる也けり」と知て、涙を流して貴ぶ事限無し。

而る間、父兼博、国司として安房の国に下向す。而るに、阿闍梨、父母の懃(ねんごろ)の言に依て、其の国に下向す。国に有る間、威勢限無くして、国人頭を低(かたぶけ)て敬ふ事限無し。爰に阿闍梨、心の内に思はく、「我れ、年来多の法花経を読誦し、法を修行して、必ず其の功徳無量ならむ。其れに、世に久く有らば、罪業を造て生死に輪廻せむ事、疑ひ有らじ。然れば、如かじ、疾く死て悪業を造らじ」と思て、必ず死ぬべき毒を尋て食はむと為るに、初は附子(ぶし)を食ふに死なず。次には「和多利と云ふ茸、必ず死ぬる物也」と聞て、山より取り持来て、密に食つ。其れにも尚死なねば、「此れ希有の事也。我れ、毒薬を食ふと云へども、法花経の力に依て死なぬ也」と思ふに、「刀杖不加。毒不能害」の文、思ひ合せられて、哀れに悲き事限無し。

其の後、夢に人来て、告て云く、「聖人の信力清浄也。吉く法花経を誦すべし」と。其の人を慥に見れば、普賢菩薩の形也。夢覚て後、弥よ信を凝て法花経を読誦す。

而る間、天下に疫病発て、阿闍梨、病を受つ。亦、父母共に病を受て、病み悩む間、阿闍梨の夢に五色の鬼神集会して、□□□□1)云く、退て冥途に行く程に、鬼神の云く、「阿闍梨をば免せ。此れは法花の持者也」と云て、免すと見て夢覚ぬ。然れば、阿闍梨の病止て、本の如くに成ぬ。但し、父母は既に死たり。

阿闍梨、此れを見て、涙を流して泣々く法花経を誦して、父母を蘇生せしむと祈る間、阿闍梨、夢に、法花経の第六巻空より飛び下り給ふ。其の経に文を副て下れり。其の文を開て見れば、文に云く、「汝が法花経を誦して、父母を蘇生せしめむと祈るが故に、忽に父母の命を延べて、此の度は返し送る也。此れ、閻魔の御書也」と。夢覚て、父母を見るに、共に蘇生せり。阿闍梨、冥途の事を語る。父母、此れを聞て、喜び貴ぶ事限無し。此れを見聞く人、皆涙を流して貴びけり。

阿闍梨、一生の間に読む所の法花経一万部。其の他の勤め、日毎に怠らず。現世の利益、既に此如し。後世の菩提、疑ふべからずとなむ、語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「集会シテノ下一本駈立テ冥途ニ云々ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku12-37.txt · 最終更新: 2015/07/20 10:25 by Satoshi Nakagawa
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