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今昔物語集

巻12第36話 天王寺別当道命阿闍梨語 第卅六

今昔、道命阿闍梨と云ふ人有けり。此れ下姓の人に非ず。傅の大納言道綱と申ける人の子也。天台座主慈恵大僧正の弟子になむ有ける。

幼にして山に登て、仏の道を修行し、法花経を受持す。初め、心を一つにして、他の心を交ずして法花経を誦するに、一年に一巻を誦して、八年に一部を誦し畢る。就中に其の音微妙にして、聞く人、皆首を低(かたぶけ)て、貴からずと云ふ事無し。

而る間、阿闍梨、法輪寺に籠て、礼堂に居て、法花経を誦するに、老僧有て、亦其の寺に籠合ふ。老僧、御堂にして、夢に堂の庭に止事無く気高く器量(いかめ)しき1)人々隙無く在まして、皆掌を合せて、堂に向て居給へり。老僧、此れを怪むで、恐々(おづおづ)寄て、一人の眷属に、「此れは誰が御坐すぞ」と問へば、答て云く、「此れは、峰山の蔵王・熊野の権現・住吉の大明神・松尾の大明神等の、法花経聞□□2)、近来夜毎に此如く御坐する也」と告ぐると見て、夢覚□□□3)。道命阿闍梨の礼堂に居て、音挙つつ、法花経の六の巻を誦する也けり。「然は、此の経を聴聞せむが為に、若干の止事無き神等は来り給ふにこそ有けれ」と思ふに、貴き事限無し。立て、泣々く礼拝して、庭を思遣るに、恐しければ立て去ぬ。

亦、一人の女有て、此の堂に籠れり。強き邪気に煩て籠れる也。月来悩て、更に為べき方無し。而るに、病女、此の阿闍梨の経誦するを聞て、悪霊忽に現はれて云く、「我れは汝が夫也。強に汝を悩まさむと思ふ事無しと云へども、身の苦び堪難きに依て、自然ら託(つ)き悩ます也。我れ生たりし時、諸の悪き事をのみ好て、生類を殺し、仏の物を犯せりき。一塵の善根を造らず。此れに依て、地獄に堕て苦を受る事隙無し。而る間、此の道命阿闍梨の法花経を誦するを聞て、地獄の苦を免れて、忽に軽き苦を受く。所謂る蛇身の形を受たる也。若し亦彼の経を聞かば、必ず蛇の身を棄てて、善所に生るる事を得む。汝ぢ速に我れを彼の阿闍梨の所に将行て、経を聞かしめよ」と。女、此れを聞て、阿闍梨の住所を尋て、詣でて、経を聞かしむ。阿闍梨、此れを聞て、心を発して、彼の霊蛇の為に法花経を誦するに、霊、亦現はれて云く、「我れ亦此の経を聞くに依て、既に蛇身を免れて天上に生れぬ」となむ云ける。其の後、彼の女人、塵許も煩ふ事無くてし久く有けり。

亦、阿闍梨、書写の山の性空聖人に結縁せむが為に、彼の山に行て、聖人に会て、後の世の事契を成して、夜は傍なる房に出でて息む。亥時許に成るに、阿闍梨、法花経を誦す。房の檐の方に、誦し始るより読み畢るまで、忍て泣く人の気色聞ゆ。時々、手を押し摺る念珠の音も有り。「何人の此くは泣き居たるにか有らむ」と思て、誦して畢て、和(やは)らに遣戸を細目に開て臨(のぞ)けば、聖人の、阿闍梨の経誦するを聞て貴むで、房の4)檐景に屈り居て、泣々く聞く也けり。其の時、阿闍梨、房の板敷より迷ひ下て、畏り申されけり。此の阿闍梨の経は、□□5)有、□□□□6)有り、□□□並び無し。凡そ経のみに非ず。物云ふ事ぞ、極て興有て可咲かりける。

中宮に阿闍梨の参たりけるに、女房の問ひける様、「引経には何くか貴くは有る」と。阿闍梨、「琵琶・鐃・銅鈸と云ふ所こそ、引くには貴けれ」と答ければ、女房、いみじう咲けり。

亦、陸奥の守源頼清の朝臣と云ふ人、左近の大夫とて、極て不合にて有ける時に、此の阿闍梨は父の傅の大納言の縁に依て親しかりければ、常に其の房に行けり。而るに、其の房にして、頼清、粥を食けるに、粥の汁なりければ、頼清、「此の御房には粥こそ汁なりけれ」と云へば、阿闍梨「道命が房には粥汁也。主の御家には飯固し」と云ければ、其の坐に有りと有る人、頤を放てぞ咲ける。此如く罪軽くてぞ過ぎにける。

死て後に、得意と有ける人、「阿闍梨は何なる所にか生れたらむ」と思ふ程に、其の人の夢に、一の大なる池の辺に至るに、蓮盛に開て池に満たり。池の中に経を誦する音聞ゆ。吉く聞けば、故道命阿闍梨の音にて有り。其の時に、怪むで車より下て、池の中を見れば、彼の7)阿闍梨、手に経を捲(にぎり)て、口に経を誦して、船に乗て来たり。其の音、生りし時には千倍せり。語て云く、「我れ、生たりし時、三業を調へず、五戒を持(たも)たずして、心に任せて罪を造りき。就中に、天王寺の別当と有し間に、自然ら寺の物を犯用ひき。其の罪に依て、浄土に生るる事をば得ずと云へども、法華経を読奉りし其の力に依て、三悪道に堕ちずして、此の池に住て、法花経を読奉る。更に苦無し。今、両三年畢て後、覩率天に生まるべし。昔の契、于今忘れずして、今来て告る也」となむ云ひける。

夢覚て後、極て哀れに思て人に語けるを、聞伝へて語り伝へたるとや。

1)
底本「(いかめし)しき」。誤植とみて訂正。
2)
底本頭注「聞ノ下一本ニ字アリ亦一本為ニニ作ル」
3)
底本頭注「覚ノ下一本「ニケリ」ノ三字アリ」
4)
底本頭注「房ノノ二字一本ニヨリテ補フ」
5)
底本頭注「経ハノ下一本〓シクトアリ」。〓=登+りっとう
6)
底本頭注「有リノ下一本貴トクアリ」
7)
底本「被の」。誤植とみて訂正。
text/k_konjaku/k_konjaku12-36.txt · 最終更新: 2015/07/19 12:39 by Satoshi Nakagawa
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