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text:k_konjaku:k_konjaku12-1

今昔物語集

巻12第1話 越後国神融聖人縛雷起塔語 第一

今昔、越後国に聖人有けり。名をば神融と云ふ。世に古志の小大徳と云ふは此れ也。幼稚の時より法花経を受け持(たもち)て、昼夜に読み奉るを以て役として、年来を経。亦、懃(ねんごろ)に仏の道を行ふ事、怠る事無し。然れば、諸人、此の聖を貴び敬ふ事限無し。

而る間、其の国に一の山寺有り。国上(くがみ)山と云ふ。而るに、其の国に住む人有けり。専に心を発して、此の山に塔を起たり。供養せむと為る間に、俄に雷電霹靂して、此の塔を蹴壊て、雷空に昇ぬ。願主、泣き悲て、歎く事限無し。

然ども、「此れ自然ら有る事也」と思て、即ち、亦改めて此の塔を造つ。亦、「供養せむ」と思ふ程に、前の如く雷下て蹴壊て、遂ざる事を歎き悲むで、猶、改めて塔を造つ。

「此の度びは、雷の為に塔を壊たるることを止めむ」と、心を致て泣々く願ひ祈る間に、彼の神融聖人来て、願主に向て云く、「汝ぢ歎く事無かれ。我れ、法花経の力を以て、此の度、雷の為に此の塔を壊たしめずして、汝が願を遂げしむ」と。願主、此れを聞て、掌を合せて、聖人に向て泣々恭敬礼拝して、喜ぶ事限無し。聖人、塔の下に来り居て、一心に法花経を誦す。

暫許(とばかり)有て、空陰り、細なる雨降て、雷電霹靂す。願主、此れを見て、恐ぢ怖れて、「此れ、前々の如く塔を壊つべき前相也」と思て、歎き悲む。聖人は誓ひを発して、音を挙て、法花経を読奉る。

其の時に、十五六許なる童、空より聖人の前に堕たり。其の形を見れば、頭の髪、蓬の如くに乱れて極て恐し気也。其の身を五所縛られたり。童、涙を流して、起き臥し辛苦悩乱して、音を挙て聖人に申さく、「聖人、慈悲を以て我れを免し給へ。我れ、此れより後、更に此の塔を壊る事有らじ」と。聖人、童に問て云く、「汝ぢ、何許の悪心を以て、此の塔を度々に壊るぞ」と。童の云く、「此の山の地主の神、我れと深き契り有り。地主の神の云く、我が上に塔を起つ。我れ住む所無かるべし。此の塔を壊るべし」と。我れ、此の語に依て、度々塔を壊れり。而るに、今、法花経の力不思議なるに依て、我れ吉く縛られぬ。然れば、速に地主の神を他の所に移去らしめて、永く逆心を止む」と。聖人の云く、「汝ぢ、此れより後ち、仏法に随て、逆罪を造る事無かれ。亦、此の寺の所を見るに、更に水の便無し。遥に谷に下て水を汲むに、煩ひ多し。何(いか)で汝ぢ、此の所に水を出すべし。其れを以て住僧の便と為む。若し汝ぢ水を出す事無くば、我れ汝を縛て、年月を送ると云ふとも去らしめじ。亦、汝ぢ、此の東西南北四十里の内に、雷電の音を成すべからず」と。童、跪て、聖人の言を聞て、答て申さく、「我れ、聖人の言の如く、水を出すべし。亦、此の山の外四十里の間に雷電の音を成さじ。何に況や、向ひ来る事をや」と云ふに、聖人、雷を免しつ。

其の時に、雷、掌の中に瓶の水を一滴受て、指を以て1)巌の上を爴(つかみ)穿て、大きに動じて、空に飛び昇ぬ。其の時、彼の巌の穴より、清き水涌き出づ。願主は塔を壊られざる事を喜び悲むで、本意の如く供養しつ。此の山の住僧は、水の便を得たる事を喜て、聖人を礼す。

其の後、数百歳を送ると云へども、塔壊るる事無し。亦、諸の所に雷電振動すと云へども、此の山の東西南北四十里の内に、于今雷の音を聞かず。亦、其の水絶えずして、于今有り。雷の誓ひ、錯(あやま)つ事無し。此れ、法花経の力也。亦、聖人の誓ひの実なる事を知り、施主の深き願の足れる事を皆貴びけりとなむ語り伝へたるとや。

1)
底本「以ヲ」。誤植とみて訂正。
text/k_konjaku/k_konjaku12-1.txt · 最終更新: 2015/06/08 22:09 by Satoshi Nakagawa