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今昔物語集

巻11第11話 慈覚大師亙唐伝顕密法帰来語 第十一

今昔、承和の御代に慈覚大師と申す聖在ましけり。俗姓は壬生の氏、下野国都賀の郡の人也。

初め生れける時、紫雲立て其の家に覆へり。其の時に、其の国に広智菩薩と云ふ聖有り。遥に此の紫雲を見て、驚て、其の家に尋て来れり。問て云く、「此の家に何なる事か有る」と。家の主、答て云く、「今日、男子生れり」と。広智菩薩、其の父母に教へて云く、「其の生るる男子は、是止事無き聖人と成るべき人也。汝等、父母也と云ふとも、専に敬ふべし」と、云ひ置て返ぬ。

其の後、其の男子、漸く勢長して、既に九歳に成ぬ。父母に語て云く、「我れ、出家の心有り。広智の所に行て、経を習はむ」と云て、経を求むるに、法花経の普門品を得たり。是を以て広智に随て是を習ふ。

而る間、児、夢の中に聖人有て、我が頂を撫づるを、亦傍に人有て告て云く、「汝が此の頂を撫づる人をば知たりや否や」と。児、答て云く、「知らず」と。亦云く、「是は比叡山の大師也。汝が□□□□□と成るべきに依て、汝が頂を撫づる也」と。夢覚て、児の思はく、「然れば、我れは比叡山の僧と成るべきにこそ有なれ」と思て、年□□歳1)にして、遂に比叡山に登て、始て伝教大師2)を見るに、大師、咲を含て喜び給ふ事限無し。本より知れる人を見るが如し。児、亦昔夢に見し形に替る事無し。

其の後、大師に随て、頭を剃て法師と成ぬ。名を円仁と云ふ。顕密の法を習ふに、少しも愚なる事無し。

而る間、伝教大師失給ひぬれば、心に思はく、「我れ、唐に渡て顕密の法を習ひ極めむ」と思て、承和二年と云年、唐に渡ぬ。天台山に登り、五台山に参り、所々遊行して聖跡を礼し、仏法流布の所に行ては是を習ふ間、会昌天子と云ふ天皇の代に、此の天皇、仏法を亡す宣旨を下して寺塔を破り壊て、正教を焼き失ひ、法師を捕て還俗せしむ。使、四方に相分れて亡□□。

其の時に、大師、此の使に会ぬ。独身にして随へる者無し。使等、大師を見て、喜て追ふ。大師、逃て一の堂の内に入ぬ。使、追来て、堂を開て求む。大師、為べき方無くて、仏の中に居て、□□□□□□□□□□□□3)求るに、僧見えず。只、新き不動尊一体□□□□□□□□□4)見る時に、大師、本の形に成て在ます。使、「何なる人ぞ」と問ふに、「日本の国より、法を求めむが為に来れる僧也」と答ふ。使、恐れて、還俗せしむる事をば暫く止めて、天皇に此の由を奏す。宣旨に云く、「他国の聖也。速に追棄つべし」と。然れば、使、大師を免つ。

大師、喜びて、其の所を走り去て、他の国へ逃る間に、遥なる山を隔て、人の栖(すみか)有り。見れば、城固く築き籠て、廻り強に固めたり。一面に門有り。其の門の前に人立てり。大師、是を見て、喜て寄て、「是は何なる所ぞ」と問ふ。答て云く、「是は一人の長者の家也。聖人は何ぞ」と。大師、答て云く、「仏法を習はむが為に、日本の国より渡れる僧也。然るに、仏法を亡す世に会て、『暫く隠れ居て、忍びたらむ所に有らむ』と思ふ也」。門に立たる人の云く、「此の所は□□□て、人来ずして、極て静なる所也。然れば、暫く是に在まして、世の静に成なむ後に出て、仏法をも習ひ給ふべき也」と。大師、是を聞て、喜びを成して、此の人の後に立て入ぬ。其の後、門をば即ち差しつ。

門を入て、遥に奥の方に歩び行く。大師も共に行て見給へば、様々の屋共造り重ねたり。人多く、□□□□□□の空き屋の有るに、大師を居しめつ。大師、「此く静なる所に来ぬ。世の静ならむ所、此に有らむ。吉き事也」と喜て、「若し仏法5)や在す」と思て、所々を伺ひ見行くに、惣て仏経見え給ふ所無し。

後の方に屋有り。寄て立ち聞けば、人の病む音共、多く聞ゆ。「怪し」と思て臨(のぞき)て見れば、人を縛り上て鈎(つ)り懸て、下に壺を置て、其の壺に血を垂れ入る。是を見るに、惣て心得ねば、問へども答へず。怪で去ぬ。

亦、他の方を臨ば、亦人の吟(によ)ふ音有り。色極て青き者共、痩せ枯たる多く臥せり。一人を招けば、這ひ寄り来れり。大師、問て云く、「是は何なる所ぞ。此く堪へ難気なる事共の見ゆるは」と。此の人、木の端を取て、縷(いとすぢ)の様なる肱を指し延べて、土に書を見れば、「是は纐纈の城也。知らずして此に来ぬる人をば、先づ物を云はぬ薬を食はしめて、次に肥ゆる薬を食はしむ。其の後に、高き所に鈎り係て、所々を差し切て、血を出して壺に垂れ、其の血を以て纐纈を染て結つつ世を経る。所を知らずして□□□□□□□□6)既に食つる様にして、人問ふ事有らば、物を云はぬ様にて、うめきて努々物宣ふ事無かれ。我等も其の薬を知らずして食て、此る目を見る也。相構て逃げ給ふべき也。廻りの門は強く差して、おぼろげにては人出づべき様無き所也」と書たるを見て後、大師、心肝失て惣て思えず。

然れども、本の居所に返ぬ。人、食物を持て来たり。見れば、教へつる様に、胡麻の様なる物盛て居へたり。是を食ふ様にしては懐に差し入れて外に棄てつ。食物の後、人来て、「問ふ事有り」と言へども、うめきて物云はず。「今はし得たり」と思へる気色にて去ぬ。其の後は、肥ゆべき薬を種々に食はしむ。

然る間、人の立去たる程に、大師、丑寅の方に向て掌を合せ礼拝して云く、「本山の三宝薬師仏、我れを助て、古郷に返る事を得しめ給へ」と。其の時に、一の大なる狗出来ぬ。大師の衣の袖を食て引く。大師、犬の引に随て行くに、通出べくも無き水門有り。其(そこ)より引き出しつ。外に出ぬれば、犬は見えず成ぬ。

大師、泣々く喜て、其より足の向く方に走るに、遥に野山を越て人里に出ぬ。人会て、問て云く、「是は何より此れる聖人の、此如き走り給ふぞ」と。大師、然々の所に行て、有つる事の様を語る。其の人の云く、「其の所は纐纈の城也。人の血をしぼりて世を亙る所也。其に行ぬる人は返る事無し。実に仏神の助けに非ずば、遁るべき様無し。限無く貴き聖人に在ましけり」と、喜て別れ去ぬ。

其より弥よ逃げ去て、王城の方に至て、忍聞く程に、会昌天子失給ひぬ。他の天皇、位に即給ぬれば、仏法亡す事止ぬ。

大師、本意の如く□□寺7)の義操8)と云ふ人を師として、密教を習ひ伝へて、承和十四年と云ふ年、帰朝して顕密の法を弘め置たりとなむ語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「年ノ下十五トアルベシ」
2)
最澄
3)
底本頭注「仏ノ中ニ云々一本仏ノ中ニ逃入玉フ使トアリ又宇治拾遺仏ノ中ニ逃入テ不動ヲ念ジ給ヒケルホドニ使トアリ」
4)
底本頭注「一体ノ下一本御座ケリ使此ヲ疑ヒトアリ又宇治拾遺仏ノ御中ニオハシケルソレヤシガリテ抱キオロシテトアリ」
5)
底本頭注「仏法一本仏経ニ作ル」
6)
底本頭注「染テノ下宇治拾遺売リ侍ルナリコレヲ知ラズシテカカル目ヲ見ルナリ食物ノ中ニ胡麻ノヤウニテ黒バミタルモノアリソレハ物言ハヌ薬ナリサル物参ラセタラバ食フマネヲシテ捨テ給ヘ云々トアリ」
7)
底本頭注「寺ノ上青龍トアルベシ」
8)
底本頭注「義操ハ義真ノ誤カ」
text/k_konjaku/k_konjaku11-11.txt · 最終更新: 2015/05/19 13:25 by Satoshi Nakagawa