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text:k_konjaku:k_konjaku1-32

今昔物語集

巻1第32話 舎衛国勝義依施得富貴語 第卅二

今昔、天竺の舎衛国に、九億の家有り。其の中に一人の人有り。名をば勝義と云ふ。此の人の家、極て貧くして、一塵も貯へ無し。然れば、夫妻相ひ共に、此の城の内の九億の家毎に行つつ、物を乞ひて、世を過して命を継ぐ。

其の時に、仏1)、彼の勝義を教化せむが為めに、頭陀第一の迦葉を遣はすに、迦葉、其の家に至り給ひて、物を乞ひ給ふ。勝義、此れを見て云く、「仏の御弟子と申ども、世に心御せぬ人かな。我は家貧して、一塵も貯へ無が故に、此の城の九億の家毎に行つつ、物を乞て世を過し、命を助くる人也。何ぞ、我が許にしも来て、物乞ひ給らむ。更に供養し奉るべき物無し」と。尊者の宣はく、「只何なりとも、有らむ物を得しめよ」と。勝義が云く、「我が家に全く奉るべき物無し」と。尊者の云く、「猶、只一塵なりとも、得しめよ」と。

勝義、又答ふる事無きに、妻、出来て、夫を呵嘖して云く、「汝ぢ、何ぞ此の比丘を供養し奉らざる。汝と我れとが中に、麻の衣一領、年来有り。『美の物を供養せよ』と乞ひ給はばこそ無からめ、『只一塵也とも供養せよ』と有り。只、彼の麻の衣を供養してむ」と云ふ。夫(をつ)と答て云く、「汝ぢ、極て愚か也。此の衣、汝と我れとが中に、只一領也。我れ出る時は、汝は裸か也。汝が出る時は、我は裸か也。此れを供養してば、既に汝と我とが命を、忽に絶(たたん)と為」と。

妻の云く、「汝が心、極て拙し。此の身は無身の身也。命長しと云とも、終に死なざる事無し。身を養ふと云とも、又無常に皈(きし)なば、塵土(ちりひじ)と成りなむずる也。我等、前世に施の心無きが故に、家貧して貯へ無き事、此の城の九億の家の中に、我等のみ有り。此れ、前世の報には非ずや。此の世に又かくて死なば、後世に地獄に堕て、餓鬼と成て、苦を受けむ事、堪へ難かるべし。我れ、只此の麻の衣を比丘に供養し奉らむ」と云て、夫、此れを歎くと云ども、善々く誘(こしら)へて、此の衣を脱て、帖(たたみ)て、尊者に申して云く、「尊者、目を暫く塞ぎ給へ。我れ、赤裸(はだか)に成りなむとす。極て恥かし。見給ふ事無かれ」と。然れば、尊者、目を塞て見給はず。其の時に、女、近く寄て、此の衣を与へつ。

尊者、衣を鉢に受て、呪願して返ぬ。即ち、仏の御許に詣でて、白して言さく、「勝義が妻の供養を得る事、此の如し」と。其の時に、仏、光明を放て、東方より始て、南西北方の仏を請じ給て、共に呪願して、勝義が妻を讃歎し給ふ。

其の時に、波斯匿王、此の光を見て、驚き怪で、仏の御許に詣でて、先づ目連尊者に値て、光の瑞相を問ふ。目連、答て云く、「勝義が家、貧くして、一塵の貯へ無し。城の九億の家毎に行て、物を乞ふて世を過す。而るに、今日、迦葉尊者、勝義が家に行て物を乞ふに、夫、貯へ無きに依て供養せず。妻有て、夫妻の中に麻の衣一領有るを、惜しまずして供養せり。仏、此れを見て、讃歎して放ち給へる所の光也」と。

大王、此れを聞て、涙を流して、先づ我が衣服を脱て、勝義が家へ送る。又、「我が国の官物を、悉く勝義が許に納むべし」と宣旨を下しつ。然ば、勝義、既に富貴と成て、財宝無量也。

此れに依て、人、財宝を惜しまずして、仏に供養し奉り、比丘僧に与ふべしとなむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
text/k_konjaku/k_konjaku1-32.txt · 最終更新: 2016/05/04 21:46 by Satoshi Nakagawa