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今昔物語集

巻1第3話 悉達太子在城受楽語 第三

今昔、浄飯王の御子悉達太子、年十七に成給ぬれば、父の大王、諸の大臣を集めて、共に議して宣はく、「太子、已1)に長大に成給ぬ。今は后を奉べし。但し、思の如ならむ后、誰人か有るべき」と宣ふ時に、大臣、答て云く、「一人の釈種の婆羅門有り。名をば摩訶那摩と云ふ。娘有り。耶輸陀羅と云ふ。形、人に勝れて、心に悟(さとり)有なり。太子の后に為むに足れり」と。

大王、此の事を聞給て、大きに喜び給て、彼の父の婆羅門の許に使を遣て宣はく、「太子、已に2)長大に成て、后を求るに、汝が娘に当れり」と。父、謹で大王の仰を奉(うけたま)はる。

然(さ)れば、大王、諸の大臣と吉日を撰び定めて、車万両を遣て迎へ給て、既に宮に入ければ、太子、世の人の妻夫(めをと)の有様をふるまひ給ひぬ。又、諸の目出たく厳(いつく)しき女を撰て具せしめて、夜る昼る楽び遊ばしめ給ふ事限無し。

然(さ)は有れども、太子、后と常に相共なる事無し。始め、物の心吉く知給ざりける時より、夜は静に心を鎮めて、思を乱さずして、聖の道を観じ給けり。大王は日々に諸の采女に問給ふ、「太子は后と睦び給や」と。采女共の申す様、「太子、后と睦つび給ふ事、未だ見ず」と。大王、此の事を聞給て、大きに歎き給て、弥よ目出たき女の舞ひ歌ひ遊ぶを加て、噯(なぐさ)め給ふ。然は有れども、猶妃に睦び給ふ事無し。然れば、大王、弥よ恐れ歎き給ふ。

此て、太子、薗の花の開け栄え、泉の水の清く冷(すず)しき事を聞給て、「薗に出て遊ばむ」と欲(おぼ)して、此の采女を遣て、大王に申し給ふ。「宮に候ふに、日長くして遊ぶ事無し。暫く出て遊ばむと欲(おも)ふ」と。大王、此れを聞給て、喜び給ふ。忽ちに大臣・百官に仰せて、道を造らせ、万の所を清めさしむ。

太子、先づ父の王の御許に行て、王を拝し給て、出て行き給ふ。王、大臣の、年老、才有り、弁へ賢きを、太子の御共に遣す。此て、太子、諸の眷属を引将て、城の東の門より出給ふ。国の内の上中下、男女、集り来て見奉る事、雲の如し。

其の時に、浄居天、変化して、老たる翁と成ぬ。頭白く、背傴(せぐくまり)にして、杖に懸りて、羸(つか)れ歩ぶ。太子、此れを見給て、御共の人に問て宣はく、「此れは何人ぞ」と。答て云く、「此れは老たる人也」。又問給はく、「何を『老たる』とは云ぞ」と。答て云く、「此の人、昔は若く盛なりき。今は齢積て形衰へたるを、『老たる人』と云ふ也」と。太子、又問給はく、「只此の人のみ老たるか。万の人、皆此く有る事か」と。答て云く、「万の人、皆此く有る也」と。太子、車を廻して宮に返給ぬ。

又、暫の程を経て、太子、王に前の如く出て、遊ばむ事を申し給ふ。王、此の事を聞給て、歎き思(おぼ)す様、「太子、先に出て、道に老人を見て、憂の心有て、楽ぶ心無し。今何ぞ又出む」と思して、許給はず。然りと雖も、諸の大臣を集めて議し給ふ。「太子、先に城の東の門を出て、老人を見て楽しばず。今、既に又出むとす。此の度は、道を揮3)(はらつ)て、前の老人の如くならむ輩を有るべからず」と仰せて、許し給ひつ。太子、先の如く百官を引将て、城の南の門より出給ふ。

浄居天、変化して、病人と成ぬ。身羸れ、腹大きにふくれて、喘ぎ吟(によ)ふ。太子、此れを見給て、問て宣はく、「此れは何人ぞ」と。答へて云く、「此れは病ひする人也」と。太子、又問給はく、「何(いか)なるを『病人』とは為ぞ」と。答て云く、「『病人』と云は、耄(おい)に依て飲食すれども𡀍4) (いゆ)る事無く、四大調はずして、弥よ変じて、百節皆苦しび痛む。気力虚微して、眠り臥て安からず。手足有れども、自ら運ぶ事能はずして、他人の力を仮て臥し起く。此れを『病人』と為也」と。太子、慈悲の心を以て、彼の病人の為に、自ら悲を成して、又問給ふ。「此の人のみ此く病をば為か。又、余の人も皆而るか」と。答て云く、「一切の人、貴賤を択ばず皆此の病有り」と。太子、車を廻して、宮に返て、自ら此の事を悲て、弥よ楽ぶ事無し。

王、御共の人に問て宣はく、「太子、此の度、出て楽ぶ事有つや否や」と。答て云く、「南の門を出給ふに、道に病人を見て、此れを問聞給て、弥よ楽給はず」と。王、此の事を聞給て、大に歎き給ふ。今よりは城を出給ふ事を恐れ給て、弥よ噯め給ふ。

其の時に、一人の婆羅門の子有り。憂陀夷と云ふ。聡明智恵にして弁才有り。王、此の人を宮の内に請じ入て、語て宣はく、「太子、今世に有て、五欲を受る事を楽しばず。恐らくは、久しからずして家を出て、聖の道を学ばむと為るを、汝ぢ、速に太子の朋と成て、世間の五欲を楽ばむ事を語り聞て、出家を楽む心を留めよ」と。憂陀夷、王の仰せを奉はりて、太子に随ひ奉て、離れずして、常に歌舞を奏して見せ奉る。

太子、又暫くも有て、「出て遊ばむ」と申し給ふ。王、思す様、「憂陀夷、太子と朋と成ぬれば、世間を厭(いと)ひ、出家を好む事は留ぬらむ」と。然れば、出給はむ事を許し給ひつ。

太子、憂陀夷と百官を引将て、香を焼き、花を散じ、諸の伎楽を成して、城の西の門を出給ふ。浄居天、心に思はく、「前に老・病の二を現ずるに、衆人挙て此れを見て、王に申す。王、太子の此れを見て、楽び給はざるに依て嗔り給ふ。此度は死を現むに、皆人見て王に申さば、王、嗔を増て、必ず罸(つみ)を蒙らむ。我れ、今日は、只太子と憂陀夷と二人に、此の現ぜむ所の事を見せて、余の人には見せじ」と思て、変化して死人と成ぬ。

死人を輿5)(こし)に乗せて、香花を以て、其の上に散ず。人、皆哭合(なきあひ)て、此れを送る。太子・憂陀夷と二人のみ此れを見る。太子、憂陀夷に問て宣はく、「此れをば何人とか為る」と。憂陀夷、王の仰せに恐れて、答る事無し。太子、三度問給ふに、答へず。爰に浄居天、神通を以て憂陀夷の心を不覚に成して、答て云しむ。「此れは死人也」と。太子、問給はく、「何なるを死人とは云ぞ」と。憂陀夷の云く、「死と云は、刀風形を解き、神識身を去て、四大の諸根、又知る事無し。此の人、世に有て、五欲に貪着し、財宝を愛惜して、更に無常を悟らず。今は一旦に此れを捨て死す。又、父母・親戚・眷属も、命終て後、随ふ事無し。只草木の如也。此く死する者をば、実に哀れむべき也」と。太子、此れを聞給て、大に恐れ給て、憂陀夷に問給はく、「只此の人のみ死するか。余の人も又而か有るか」と。答て云く、「人、皆此く有る也」と。太子、車を廻して、宮に返給ぬ。

王、憂陀夷を呼びて問給ふ。「太子出て、楽有つや否や」と。憂陀夷、答て云く、「城を出給て遠からずして、道に死人有つ。何れの所より来れりと云ふ事を知らず。太子と我と、同く此れを見つ」と。王、此の事を聞給て思す様、「太子と憂陀夷とのみ此れを見て、余の人、皆此れを見ざりけり。定て、此れ、天の現ぜる也。諸の臣の咎に非ず。阿私陀 6)の云しに違ふ事無」と思して、大に歎き悲び給て、日々に人を奉りて、太子を誘(こしらへ)て宣はく、「此の国は汝が有也。何事に依てか、常に憂たる心のみ有て、楽しばざるぞ」と。

「太子、前に東南西の三の門を出給へり。未だ北の門より出給はず。必ず此の度は、北の門より出て遊び給はむ事有りなむ。然れば、彼の道を荘(かざ)り、前の如ならむ者共を有るべからず」と、諸の臣に仰せて、心の内に願じて宣はく、「太子、若し城の門を出ば、願くは、諸天、不吉祥の事を現じて、太子の心に憂へ悩ます事なかれ」と。

太子、又、王に出て遊ばむ事を申し給ふ。王、憂陀夷及び百官を、太子の前後に随へ給ふ。城の北の門を出て、薗に至給て、馬より下て、樹の本に端(ただ)しく居給て、御共の若干の人を去(しりぞ)けて、心を一にして、世間の老・病・死の苦を思惟し給ふ。

其の時に、浄居天、相の形に化して、法服を調のへ、鉢を持ち、錫杖を取て、来て、太子の前に有り。太子、此れを見給て、「汝は誰人ぞ」と問給ふ。僧、答て云く、「我は此れ比丘也」。太子、又問給ふ。「何なるをか、『比丘』と云ふ」と。答て云く、「煩悩を断じて、後の身を受けざるを『比丘』と云也。世間は皆常ならず。我が学ぶ所は無漏の正道也。目出たからぬ声に驚かず。香にをもねらず。味に耽らず。触に随はず。法に迷はず。永く無為を得て、解脱の岸に至れり」と。此く云畢て、神通を現じて、虚空に昇て去ぬ。太子、此れを見給て、馬に乗て、宮に返給ぬ。

王、憂陀夷に問て宣はく、「太子、此の度、出て楽び有つや、否や」と。答て云く、「太子、此の度、道に不吉祥無し。但し、薗の中に至て、樹の本に坐し給つる時に、一の人此れり。髪を剃り、衣を染たり。太子の御前にして、語る事有りつ。其の詞畢て、空に昇て去ぬ。何に事を云ふと知らず。太子、此の人と談(かたら)ひ給ひつる時は、喜び給ひつ。宮に返給て後は、尚憂たる形に御ます」と。

王、此れを聞給て、何なる瑞相と云ふ事を知給はず。只、「太子は家を出て、聖の道を学び給べし」と疑て、王、弥よ恐れ、歎き給ふ事限無かりけりとなむ語り伝へたるとや。

1) , 2)
底本「巳」。誤植とみて訂正。
3)
底本頭注「揮一本拂ニ作ル」
4)
口へんに愈
5)
底本異体字「轝」
6)
阿私仙。『今昔物語集』にはこれ以前に登場しない。釈迦誕生時にその出家を占った。
text/k_konjaku/k_konjaku1-3.txt · 最終更新: 2016/03/28 23:58 by Satoshi Nakagawa