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text:k_konjaku:k_konjaku1-25

今昔物語集

巻1第25話 和羅多出家成仏弟子語 第廿五

今昔、天竺に一人の人有り。名をば和羅多と云ふ。其の父母、家、大に富て、財宝豊にして、更に乏き事無し。

而るに、此の和羅多、道心深して、「我れ、出家して、仏1)の御弟子と成む」と思ふ。父母に暇を乞ふに、更に許さず。和羅多が云く、「遂に我が出家を許給はずば、我れ忽に死なむ」と云て、三日飲食せずして臥たり。五日食はず。七日食はずして、臥て、「既に死(しなん)」と云ふ。

人有て、父母に語て云く、「和羅多、既に七日食はずして死とす。死後、悔ひ悲び給はむよりは、只出家を許し給へ」と。父母、此れを聞て、出家を許しつ。其の時に、和羅多、起上て食する事、例の如く也。其の後、「既に仏の御許に詣でて出家せむ」とて出立に、父母の云く、「仏の御弟子に成ると云とも、一年に三度、必ず我が許へ来れ。祖子の契り、暫くも見ねば、心肝堪へ難し」と。

和羅多、仏の御許に詣でて、出家して、御弟子と成ぬ。其の後、祖の家に行事無し。祖、一年待に見えず。二三年待に見えず。十二年2)を経て見えず。

其の後、和羅多、三界の惑を断じて、羅漢果を得たり。和羅多、仏に白して言さく、「我れ、父母の家に行むと思ふ」と。仏の宣はく、「速に行くべし」と。和羅多、父の家の門に至て乞食す。父、此れを見るに、更に忘れて云く、「何くの沙門の此れるぞ」とて、打追ふ時に、逃て去ぬ。

尚、又門に至て立り。庭を清むる一人の下女有り。和羅多を見て云く、「彼の沙門は、我が君和羅多には非ずや」と。和羅多、「然也」と答ふ。女、怱(いそ)ぎ入て、主に告て云く、「門に立給へる沙門は和羅多也。知給はざるか、何に」と。

其の時に、父母、哭(なき)悲て、迎へ入て、端坐せしめて、好き衣を着せ、甘美を与へて、語て云く、「汝が本意、既に遂たり。今は我が家に留て、家業を継ぐべし。我が無量の財宝を貯る事は、只汝が為也」と云て、金銀等の七宝を前に積置けり。又、「汝が妻、端厳美麗なる事、菩薩の如し。年来、汝を恋ひ悲む。奥の方より練出たり。汝、此れを見るべし」と。「千万の財(たから)は、只汝が心に任す」と。和羅多の云く、「此の財宝は我に与給ふか」と。「然らば、車に積て給へ」と。父、車に積て与ふ。和羅多、恒伽河に財を持て行て云く、「世間の人は、財に依て三悪道を離れず」と云て、河に流しつ。其の後、虚空に昇て、十八変を現じて失ぬ。

樹の本に至て、柴を座として居たるに、隣国の王将に、猟に出て、其の樹の本に至ぬ。一の人有て、王に申さく、「此の樹の本に居たる沙門は、竹馬の時に御友達と有し、和羅多には非ずや」と。其の時に、王、下り居て、和羅多に問て云く、「汝、何の故有て出家せしぞ」と。和羅多、答て云く、「我れ、三の事に依て出家せる也」と。王、「三と云は何等ぞ」と。和羅多、「三と云は、一は君、父母の病の時に、能く代るや」と。王、「代らず」と。和羅多、「二は老たる人の死ぬるに、代るや」と。王、「代らず」と。和羅多、「三は地獄に堕て苦を受る衆生に代るや」と。王、「代らず」と。和羅多、「只其等の事也。此の如きの事を見るに依て、我れ出家せる也」と。

王の云く、「汝、昔は思ふに、竹馬の時の友達也。我が許に二万の夫人有り。其の第一を汝に譲らむ。又、我国を半国譲らむ。還俗せよ」と。和羅多の云く、「我れ、二万の夫人も要ならず。千の国土も又要ならず。只、我れ仏に成て、汝等の一切の衆生の苦に代りて、皆仏と成さむと思ふ也」と云て、虚空に昇て去にけりとなむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
2)
底本頭注「十二年諸本十三年ニ作ル」
text/k_konjaku/k_konjaku1-25.txt · 最終更新: 2016/04/29 22:54 by Satoshi Nakagawa